今回取り上げる作曲家は、20世紀を代表する音楽家クロード・ドビュッシー。ドビュッシーは美しく儚いメロディーが印象的です。しかし、その性格は不倫や浮気は日常茶飯事、また、伝統音楽には文句をつけてばかりでした。

本記事では、彼の人物像やエピソードを通して、ドビュッシーの息を吞むほど美しい音楽の魅力に迫ります。

ドビュッシーの音楽は美しいだけじゃない

出典:【無料楽譜】クロード・ドビュッシー : 月の光「ベルガマスク組曲」より

ドビュッシーの音楽は、美しいだけでなく、香りや色彩といった五感を使って楽しめるところが魅力です。印象主義と呼ばれたドビュッシーは、絵画や詩をもとに作った作品が多く、音から豊富なカラーを感じることができます。

更に、クラシック音楽を使った実験では、代表作「月の光」を聴いた後にワインを飲んだ被験者が、「甘美でソフトな味わい」に感じたという結果も出ています。五感で楽しめるドビュッシーの音楽は、化学的にも証明されているんですね。

また、ドビュッシーの作品は、どれも確固たる自信がひしひしと伝わってきます。大胆な転調を使った自由な和声は、彼にしか出来ない技法であり、これを堂々と成し遂げたドビュッシーは、相当自信家であったことが分かります。

ドビュッシーの自信たっぷりで五感に訴えかける音楽。なぜこのような音楽が生まれたのか、人物像を通して探っていきましょう。

ドビュッシーの生涯

出典:Wikipedia Claude Debussy

1862年にフランスで生まれたドビュッシーは、7歳の時にピアノを習い始めたことをきっかけに、音楽に目覚めます。

1872年、10歳でパリ音楽院に入学した後ピアノや作曲を学び、一時期は本格的にピアニストを目指したこともありました。しかし、学内のコンクールで2位となり、優勝できなかったことで、ピアニストを諦めてしまいます。

音楽院時代は、教授への口答えが多く「才能はあるが態度が悪い」と言われていました。さらに、内気な性格だったドビュッシーは、友人から「愛想がない」「冷徹」「神経質」「短気」と思われており悪評ばかりであったため、仕事には恵まれずにいたそうです。

しかし、1884年にパリ音楽院を卒業した際は、「放蕩息子」でローマ大賞を受賞しており、作曲の才能は十分にあったと言えるでしょう。

パリ音楽院卒業後は、作曲活動を精力的に行い、1894年「牧神の午後への前奏曲」、1902年「ペレアスとメリザンド」、1905年「ベルガマスク組曲」などの代表曲が作曲されます。

ドビュッシーは、1918年に直腸がんで亡くなるまで、イギリス、ベルギー、オランダなど10回以上の演奏旅行や多くの依頼による作曲を行っており、音楽家として大成功を収めていました。

しかし、モーリス・ラヴェルやイーゴリ・ストラヴィンスキーと交流があったドビュッシーは、音楽性などで反発し合うことがあり、人間関係は上手くいっていなかったようです。

このようにビュッシーは、順調に作曲家として活躍する一方、その内気な性格から人間関係で悩むことが多い人生であったことが分かります。

ドビュッシーの驚きエピソード2選

次に、ドビュッシーの音楽からは想像できない驚きのエピソードを紹介します。

不倫や浮気など女性問題が多かった

実は、ドビュッシーは不倫や浮気が多かったんです。その始まりは、学生時代にまで遡ります。

ドビュッシーは、18歳から8年間、夫のいるマリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人と不倫関係にあり、この間にも別の女性と恋愛関係にありました。

更にこの後付き合ったガブリエル・デュポンと同棲中にテレーゼ・ロジェと浮気をし、何とガブリエルが自殺未遂をしてしまったのです。

1899年にマリ・ロザリー・テクシエと結婚したものの、1904年にエンマ・バルダックと不倫をし、妻のマリ・ロザリー・テクシエも自殺未遂をします。翌年離婚をしたドビュッシーは、エンマ・バルダックと再婚し、ようやく落ち着くのでした。

このように、ドビュッシーには、多くの不倫と浮気の末、相手の女性が自殺未遂をするという過激な女性関係があったんです。あの美しく繊細な音楽からは想像がつきませんね。

頑固でこだわりが強く幼少期から問題児だった

ドビュッシーが住んでいたといわれる家

ドビュッシーは、物心ついた頃から気難しく、内向的な性格でした。10歳でパリ音楽院に入学後、教師の指導に文句や不満ばかり言っており、授業中には当時の伝統音楽を壊すような言動や行動が多かったことで、教師たちを困らせる問題児でした。

その後も、オルガンクラスに入るものの、代わり映えのしない調性の音楽が嫌で、わずか半年でクラスを辞めています。

また、先にも紹介したように、コンクールで2位となり1位を獲れなかったため、ピアニストの夢を諦めるほどプライドの高さも天下一品。頑固でこだわりの強い人柄であったことは間違いなさそうです。

このように、高いプライドがあったドビュッシーは、自分が求める音楽には強いこだわりを持った頑固な音楽家であったと言えます。

和声進行を逸脱した破天荒な音楽の魅力

実は、自分の音楽に絶対の自信があったドビュッシーの作品は、その性格がよく表れた破天荒な音楽であることが分かります。

当時伝統と言われ、教育の中心となっていたのは、長調と短調を主としたロマン派音楽。ドビュッシーの音楽は、それを根底から覆す型に囚われない転調と感情表現にとどまらないセンスが光ったものでした。

現在では当たり前のように受け入れられていますが、当時は、革新的と言われており、やはりドビュッシーの信念の強さがあったからこその作曲技法といえるでしょう。また、その大胆な転調や音使いは、ドビュッシーの派手な女性関係を伺うことができます。

ドビュッシーの問題児と言われるほどのこだわりの強さを知った上で作品を聴くと、繊細で美しい作品の中に、力強さや確固たる自信を感じることができるはずです。

まとめ

今回は、ドビュッシーの性格や人物像から作品の魅力を探っていきました。ドビュッシーは、これまで伝統とされてきた音楽の常識を変えた作曲家の一人です。

革新的な音楽を作った背景には、多くの女性関係や頑固な性格があり、破天荒なドビュッシーだからこそ作ることができた音楽といえます。

彼の性格や人物像を知ることで、ドビュッシーの音楽はただの美しいメロディーから堂々とした型破りでユニークなメロディーへと変貌するでしょう。