夕方に聴くとふと家が恋しくなる音楽「家路」の美しいメロディを生み出したのはチェコの作曲家ドヴォルザークでした。
祖国の音楽を大切にしていた彼の音楽には、故郷への想いを呼び起こすような不思議なエネルギーがあるのかもしれません。
世界中に愛される音楽を生み続けた彼の生涯とは一体どういったものだったのか?幼少期から晩年までのドヴォルザークの軌跡を辿っていきましょう。
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案内人
- 林和香東京都出身。某楽譜出版社で働く編集者。
3歳からクラシックピアノ、15歳から声楽を始める。国立音楽大学(歌曲ソリストコース)卒業、二期会オペラ研修所本科修了、桐朋学園大学大学院(歌曲)修了。
目次
チェコ国民楽派の代表ドヴォルザーク
アントニン・ドヴォルザーク(1841〜1904年)は後期ロマン派に属するチェコの作曲家です。チェコ国民音楽の父といわれるスメタナの影響を受けながらも、自身の音楽を追求し完成させていきます。
生涯にわたり故郷チェコの音楽を重視した国民楽派で、西洋音楽史に大きな足跡を残しました。
ドヴォルザークの生涯
ドヴォルザークの音楽人生は生まれ育った田舎町から始まり、次第に国内やヨーロッパへと広がっていきます。そしてアメリカへ渡り、最後は大きな成功とともに故郷チェコへ戻り生涯を終えました。
幼少期から青年時代
チェコの田舎町で肉屋兼宿屋を営む家庭に生まれたドヴォルザーク。家族の影響で身近に音楽がありましたが、そちらの道ではなく家業を継ぐことを期待されていました。
彼の音楽の才能に気付いたのは村の教師でした。彼から手ほどきを受けたことが最初のきっかけとなり、いくつかの学校で音楽教育を受けることになります。学校卒業後はヴィオラ奏者と両立しながら創作活動を本格的に始めました。
ブラームスとの交流から完成した「スラヴ舞曲集」
1875年以降は国家奨学金を得ながら創作活動を進めます。この時、奨学金の審査員にブラームスがいたことで二人の交流が始まります。
ブラームスは彼の才能を高く評価し、出版社ジムロックに紹介します。ジムロックからはブラームスの代表曲「ハンガリー舞曲」が出版されていて、ドヴォルザークにも舞曲の作品を依頼します。
そして完成したのがピアノ連弾の「スラヴ舞曲集」でした。発表時から好評を博し、管弦楽版にも編曲され、オーケストラのレパートリーとして現在も人気の作品です。
アメリカ時代、ナショナル音楽院院長へ
プラハ音楽院で教鞭をとっていたドヴォルザークは、一度誘いを断るものの、1892年、ニューヨークのナショナル音楽院院長としてアメリカに渡ることになります。
この音楽院は実業家のサーバー夫人によって創設された場所で、目的は自国アメリカの音楽の発展でした。国は異なりますが、故郷の音楽の発展に尽力していたドヴォルザークが院長として抜擢されたというわけです。
アメリカで彼は黒人霊歌や先住民の音楽を知りました。この経験がひとつのきっかけとなり、アメリカ音楽のエッセンスを創作に取り入れていくことになります。
晩年はチェコに帰国
数々の成功とともにアメリカから帰国したドヴォルザークは、以降はチェコに留まり活動を続けます。
国家奨学金の審査員やプラハ音楽院で後進の育成に携わったり、数々の功績を認められて勲章を得るなど、国を代表する作曲家となりました。
ドヴォルザークに関するエピソード
ここからは、ドヴォルザークの人柄と有名なメロディについてご紹介します。
実は、熱烈な鉄道ファン
ドヴォルザークは熱烈な鉄道ファンでした。彼の生きた時代がちょうど鉄道の発展の時期と重なることもあり、幼少期から興味をひく存在だったのでしょう。
楽しみ方はかなりマニアックで、蒸気機関車の型番・スペックから時刻や駅員についてまで詳しかったそうです。ニューヨーク滞在中には毎日のように駅へ通ったり、乗っていた機関車の走行音がいつもと違うことに気付いて不具合を発見したなど、さまざまなエピソードがあります。
代表曲のひとつである「ユーモレスク第7番」は機関車が走る音がヒントになったと言われています。確かに、例えば冒頭のフレーズは機関車が揺れているようなリズムを感じるかもしれませんね。
夕方になると耳にする「家路」のメロディ
誰もが一度は耳にしたことのある「家路」と呼ばれて親しまれてきたメロディ。夕方になると帰宅を促す音楽として流している街や学校もあるでしょう。
この作品、実は交響曲第9番「新世界より」の第2楽章に登場するメロディがもとになっています。原曲では哀愁を帯びた美しい旋律がイングリッシュホルンで奏でられます。
このメロディを聴くと不思議と家に帰りたくなりませんか?懐かしさを感じさせるような素朴で温もりのあるメロディが、家で安らぎたくなる気持ちを高めるのかもしれません。
ドヴォルザークの作曲技法
後期ロマン派の作曲家たちは、ロマン派の作曲技法を基礎としながらもさまざまな試みを取り入れて自己表現を模索していました。
愛国心と作風の確立
19世紀後半のチェコでは民族運動が盛んに行われていました。
ドヴォルザークもまた、チェコの民謡や舞曲などの要素を取り入れた表現を確立し、一世代前のスメタナと並んでチェコの国民音楽を築き上げました。
新大陸アメリカで得たもの
院長として就任していたニューヨークのナショナル音楽院は、当時ではまだ珍しく黒人も白人も一緒に学べる環境が整っていたため、黒人霊歌や先住民の音楽を知ることができました。
この頃のアメリカは独立を果たしてからまだ100年ほどの新しい国です。多くの刺激を受けて創作に反映し、交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」、チェロ協奏曲ロ短調といった傑作が誕生しました。
ドヴォルザーク作品の特徴
彼の作品にはどのような特徴があるのでしょうか。
至高のメロディ・メーカー
ドヴォルザークの音楽の最も大きな特徴と言えば、メロディの美しさが挙げられるでしょう。歌謡的でうっとりするようなメロディは一度聴いたら耳に残ります。
そのメロディの美しさは世代を超えて人々を魅了し、当時から高い評価を得ていました。ブラームスが「ドヴォルザークがゴミ箱に捨てたメロディを集めれば、私は交響曲を1曲書けるだろう」という名言を残しているほどです。
リズムが生み出す独特の「ノリ」
ドヴォルザークの音楽に度々登場するリズムに注目してみましょう。
チェコのフリアントという民族舞曲のリズムです。フリアントとは1,2,3…のリズムと1,2,1,2…のアクセントが交代しながら進みます。エネルギッシュに繰り返される速いテンポと変則的なアクセントが特徴で、交響曲第6番の第3楽章やスラヴ舞曲第1番、ヴァイオリン協奏曲などに現れます。
下記記事では、ドヴォルザークの代表曲についてまとめてご紹介しているのでぜひ併せてご覧ください。
ドヴォルザーク作品をより楽しむコツ
知ればより聴きたくなる傑作や名曲の背景についてご紹介します。
雰囲気の違いを楽しもう!別編成の聴き比べ
代表作のひとつ「スラヴ舞曲集」は、元はピアノ連弾として書かれた作品でした。ドヴォルザーク自身によって編曲された管弦楽版も人気ですよね。
ピアノ連弾版はより親しみのある世界観を感じられて、管弦楽版はダイナミックで時に切ない響きが郷愁を誘います。
「ユーモレスク第7番」も元はピアノ曲として作曲されましたが、ヴァイオリニストのクライスラーによるヴァイオリン編曲も有名です。
知る人ぞ知る、声楽作品
ドヴォルザークの作品といえばオーケストラのイメージが強いかもしれませんが、実はオペラを11作と、歌曲を100曲近く遺しています。
オペラ「ルサルカ」に登場するアリア「月に寄せる歌」は、湖に映った月がゆらめくようなロマンティックな音楽です。歌曲「我が母の教えたまいし歌」は母・自分・子の世代を跨いだ愛情が凝縮されたあたたかな曲です。
ぜひ歌詞の意味を読みながら曲を聴いてみてください。
まとめ
ドヴォルザークは国際的な評価を得ながらも、生涯チェコの音楽を愛しながら創作を続けました。彼の心はつねに故郷にあったのでしょう。
美しいメロディに浸りたい時、追憶にふけたい時…ドヴォルザークの音楽はいかがでしょうか。