ユニヴァーサル・エディションやブージー&ホークスで、バルトーク、ベルクからバーバー、バーンスタインまで、20世紀の名だたる作曲家を世に出したプロモーターに話を聞きます。第二次大戦中、ニューヨークで病気と経済的困難に陥っていたバルトークを、ハインスハイマーが支援しつづけたことはエピソードになっています。
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ハンス・ハインスハイマー(1900〜1993年)
ドイツの大学で法律を学び、ユニヴァーサル・エディション(UE)のライセンス部門(舞台作品)に勤務、のちにオペラ部門長となる。アルバン・ベルクの『ヴォツェック』、クルト・ヴァイルの『三文オペラ』の初演に携わる。ナチスによるオーストリア併合の際、訪問先のニューヨークに留まることを決意、ブージー&ホークスのアメリカ支社のトップになる。無名だったコープランドのプロモートやブリテンのアメリカへの紹介などで活躍。1977年に引退したのちは、音楽評論やドイツの音楽百科事典への寄稿に力を注いだ。
- インタビュアーはシカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。
*インタビュー 1986年4月14日、電話にて
何を出版するかは嗅覚で決める
ブルース・ダフィー(以下BD):わたしはあなたと出版ビジネスについて、音楽について、書くことについて、その他いろいろなことについて話をしたいと思ってまして。
ハンス・ハインスハイマー(以下HH):そうですか、あなたが聞くことに、できるだけお答えしましょう。
BD:わかりました、とても嬉しいです。あなたは何年にもわたって、ユニヴァーサル・エディション*のオペラ部門の政策決定者でしたね、合ってますか?
*ユニヴァーサル・エディション:1901年ウィーンで創業された音楽出版社。リヒャルト・シュトラウスに始まり、現代音楽の作品を積極的に出版し、バルトーク、マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベリオ、ブーレーズ、クルターグ、シュトックハウゼンといった20世紀の重要な作曲家の作品の出版を多く手がけた。
HH:そうです。わたしはあそこのオペラ部門の部門長でした。また当時、わたしの指揮下で、重要なオペラのすべてを受け持っていました。かなりの数でしたね、アルバン・ベルクの『ヴォツェック』、ヤロミール・ヴァインベルゲルの『バグパイプ吹きシュヴァンダ』、これは大きな成功でしたね。エルンスト・クルシェネクによる『ジョニーは演奏する』、それからクルト・ヴァイルの『三文オペラ』『マハゴニー市の興亡』ね。それ以外にもいろいろあったね。
クルト・ヴァイル『三文オペラ』楽譜より
BD:ええと、お聞きしたいのはこういうことなんですが。どのオペラを出版してどれをしないか、どうやって決めていたんでしょう。
HH:五感あるいは六感がいりますね。嗅覚が教えてくれます。決定についての実用的な方法というのはないのでね。作曲家が演奏してくれて、曲を聞くこともあるでしょう。たとえばクルト・ヴァイルね、彼がウィーンにやって来たときはすでに名の知れた音楽家だったけど、私たちのために新しいオペラの一つを演奏してくれたね。わたしはすぐに、その場でこれはよくないと言ったけど。
BD:本当ですか???
HH:彼にそう言ったんだ。残酷だったね。いつもわたしはズケズケと本心を言ってきた。最初彼はがっかりしてたし、当然だね、でも私たちのアドバイスを聞いて、そのオペラを出版することはやめたんだ。だから知られていない。別のケースとして、ヤロミール・ヴァインベルゲルの『バグパイプ吹きシュヴァンダ』のことを話そうか。プラハの翻訳者マックス・ブロートから呼び出されて、彼のところに行って曲を聞いてくれと言われた。わたしは聞いてすぐにこう言ったよ。「これはヒットするぞ!」ってね。それがわかったんだ、当時の大ヒット作になったよ。これは持って生まれたものだね。学んで得られるものじゃない。人に伝えることができないものなんだ。それを持っているか、持っていないか、いずれかだね。
BD:あなたの判断に反して、作品が成功を見たり見なかったりしたとき、驚くんでしょうか。
HH:ああ、そうだね! いくつかの失敗や敗北はあるよ。リリエンという名の、名の知られていない作曲家によるオペラがあって、大きな期待をもって受け入れたことがあった。それが大失敗だった。そういう事態にも備えておかなくちゃね。
BD:それを失敗作にしたのは、耳を貸さなかった聴衆だったんでしょうか?
HH:いや。わたしは聴衆に対してそこまで注意は払わない。劇場のディレクターが受け入れなかったんだ。それで進行しなかった。
BD:ではディレクターたちがチャンスを与えなかったと。
HH:そのとおり。彼らはそれが素晴らしい作品だとは思わなかった。私たちものちにそれを認めた。
現代曲を聴衆に聞いてもらうには
BD:若い作曲家の人たちにどんなアドバイスをします?
HH:作曲をすること! 作曲をして、それが演奏されるよう努力すること。指揮者と知り合うべきだし、プロデューサーや出版者と知り合うべきだね。そうしたらうまくいくか、いかないかがわかる。多くの才能ある人間は成功している。ある時点までは、大きな成功にはならないけれど、今は昔よりずっと可能性がある。ラジオがあるし、テレビもある。アメリカだけでも、60とか80の新たな作品をオペラ団体が目にしている。ニューヨーク・フィルハーモニックは今、『Horizons』と題したコンサートシリーズを準備している。現代曲だけのコンサートが五つもあるんだ! チャンスが巡ってきている。
BD:現代音楽だけのコンサートがあることはいいことでしょうか?
HH:とてもいいことだね、聴衆は、特にニューヨークでは、経験があるから。一般社会では、現代曲の多くは歓迎されていないけど、クラシックのコンサートには行かないという聴衆もたくさんいるんだ。彼らはベートーヴェンの第五を50回も聞きたくはない。新しい音楽に興味があるんだ。フィルハーモニックはこのようなコンサートをやって、すでに3年目でね、素晴らしい成功を納めているよ。もちろん助成金は必要だけどね。それを助けるスポンサーがいくつかある。ピエール・ブーレーズさんをパリから迎えたところだよ。
BD:わたしは彼がシカゴに来たとき、素晴らしいインタビューのときを持ちました。
HH:うん、彼は一般大衆のための音楽家ではないけど、支持者はたくさんいるね。ニューヨークでいくつかのイベントがあったんだけど、すごく成功したよ。
BD:『Horizons』のコンサートと、彼の『Rug Concerts』はどう違うんでしょう。
HH:まったく違いますよ。彼のコンサートの方は新しい音楽だけやるんじゃない。彼らのプログラムでは、聴衆はラグの上に座るんだ。椅子が用意されてない(取り外されている)。すごく寛いで、とても親しみあるやり方で、あらゆる音楽を、古いものも新しいものもね、やったわけだ。『Horizons』とはコンセプトが違うね。
BD:現代音楽で聴衆を楽しませる方法、あるいは受け入れられやすくする方法はあるんでしょうか。
HH:うん、もちろんあるよ! こういったものをときどきやる必要があるのは確かだね。バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督だったとき、ちょっとしたスピーチを聴衆にしたんだ。すぐにきれいだとか、ロマンチックだと思えるような音楽を期待しないで、とね。1970年のことだった。音楽はいまや以前とは違うことを表現している。そこから何か感じ取るには、何回も聞いたり見たりしないといけない。あるところまで聴衆を教育することは可能だけど、定期会員の多くはそういうものは聞きたくないっていうわけだ。オペラも同じ状態だね。たとえばシカゴで1978年に、クシシュトフ・ペンデレツキの『失楽園』があったね。聴衆が集まらなかった。
BD:そうです。いい作品だと思ったんですけどね。わたしは3回行きましたよ。
HH:ああ、もちろん、わたしもいたよ。
BD:聴衆が新作に対して、いつも名作を期待するのはまちがってますか?
HH:その通りだね。もしそうであれば、こんなナンセンスなことはないよ。過去のことを考えたって、モーツァルトの交響曲、ベートーヴェンの交響曲があるのと同時に、何百曲もの駄作があったわけで。少なくともその他の作曲家による、さほど重要ではない作品はあったんだからね。名作というのはほんの少し、わずかしかないんだ。たまにしか現れない。バルトークの『管弦楽のための協奏曲』はあなたも何度も聞かれたと思うけど、あれは名作と呼んでいいものの一つだね。
テレビで見るオペラの価値は?
BD:あなたはオペラ制作の最近の傾向を見てきたと思います。オペラにおいて、プロデューサーが優位に立っていることを喜んでいますか。
HH:重要だと思いますよ。たとえば、パトリス・シェローのプロデュースによるバイロイトでのワーグナーの『ニーベルングの指環』を例にとるなら、あれはみんなを困惑させたでしょ。テレビでしか見てないけれど、その場にいなかったんでね、素晴らしいパフォーマンスだったと思うね。彼は、時間経過とともに退屈なものになっていく作品に、新たな意味を、新たな生命を与えようとしてるわけだ。もし5回、6回、あるいは8回とあの『ニーベルングの指環』を聞いて、そこで何も起きなかったとしたら、聴く価値のないものになってしまう。
でももちろん、あなたの言ってる意味はわかりますよ。多くの場合、やり過ぎて、滑稽なものになってしまっているから。でもプロデューサーの中には、シェローとか、ジャン=ピエール・ポネルとかベルリンのゲッツ・フリードリヒのようなね、彼は素晴らしいプロデューサーだね、彼らはこういった作品で非常に面白い試みをしているでしょ。
BD:やり過ぎはないんですか?
HH:いくつかは行くところまで行ったね。
BD:あなたはテレビで『ニーベルングの指環』を見ていたときのことを話してました。一般論としてオペラをテレビで見るのは、効果的でしょうか?
HH:うまくいくとは思わない、でもオペラが広まるにはとてもいい方法だね。メトロポリタンが「メトからのライブ」放送をやるようになって、何百万人もの人たちが、世界中であそこのオペラを見てるんだからね。これなしには、4000人の人が劇場で見るだけだ。だから理想的ではないけれど、非常にうまく広がってきたと思う。素晴らしいプロデューサーや技術者を得てね、要するに彼らはオペラをどう扱ったらいいかよくわかっている。今更口に出して言うことでもないね。いまもう、ここにあるんだから! すでに起きたことであり、これがなくなることはない! なくなるんじゃなくて、もっともっと盛んになるだろうね。
BD:というわけで、あなたはこの広がっていくことを喜んでいるんですね。
HH:そうだ、そのとおり。とても重要だ。
あらゆる人が作曲家になれると思っている時代
BD:今の出版業界はいかがでしょう。健全ですか?
HH:わからないね、本当に。もう長いこと、そこから離れているから。1977年にリタイアしてて、もう直接のコンタクトはないんだ。一つ興味を引くことと言えば、多くの出版社が売られたことかな。20年、30年前にはおそらく30から40の音楽をやる出版社があった。今は12かそこらじゃないかな。みんな合併したり、互いに売り買いしてきた。だから健全かどうかと言えば、そうじゃないと思うけれど、よくはわからない。答えることができないんだ。もう出版業界にいないんだから。
BD:出版界にいる人に、何かアドバイスはあります?
HH:(少し考えて) 20年くらい前に、出版協会がニューヨークで50周年記念をやったとき、わたしはスピーチを頼まれた。わたしは「あなたたちの好みじゃないですよ」と言った。彼らは「どうであれお願いしたい」と答えた。それでわたしは、私たちが若かった頃(スピーチから50年も前)、今レパートリーになっているような曲をたくさん出版していた、バルトークの『コンチェルト』、ラヴェル編曲による『展覧会の絵』、プロコフィエフやコダーイの作品とね。つまり我々は、レパートリーをつくっていたんだ。
わたしはこう言った。「今、あなたたちのカタログを見れば、このような古い楽曲、20世紀のクラシックを除いたら、会社は成り立つかな? 成り立たないでしょう」とね。「一つ言うなら、わたしの息子は気球乗りだということだね。音楽出版の仕事をしていない。それをわたしは喜んでいるんだ。これがあなたたちへのメッセージだね」そう言った。
BD:彼らは次の世代のための、さらにその次の世代のための基礎づくりをしていないように聞こえます。
HH:そうだろうね。
BD:しかし皮肉ですね、今、作曲家が爆発的に増えているんですから。
HH:確かにいるね、でも優良なものかな? ある意味爆発だね、あらゆる人が作曲家になれると思ってるんだから。でも本当にそうなのか。もちろん彼らは演奏される。150以上の交響曲をやるオーケストラがアメリカにはあるからね。そこで一度演奏されると、その人間は素晴らしいと言う、演奏されたんだから作曲家だと言う。だけど本当に価値あるものなのか。何度も繰り返し演奏されるだろうか。この爆発現象は、あなたの言うところのね、おそらくとても危険なものだ。あらゆる爆発が危険であるのと同じようにね。
BD:ではあまりに多くの作曲家を育てすぎていると。
HH:そのとおりだ。
BD:では私たちはどうやって、平凡な作曲家から才能豊かな人々を引き抜けばいいんでしょう。
HH:我々がやるんじゃない。時間によって淘汰される、あるいは自分で気づくことで、あるいは気づかない場合も、除外されていく。いずれにしてもたくさん演奏されることはないし、楽曲が出版されることもない。途中で挫折するだろうね。するとヴィトルト・ルトスワフスキのような男が現れて、我々は偉大な作曲家を手にするわけだ。コープランドという作曲家がいたけど、その他の成功しないたくさんの者がどれだけいたか。エリオット・カーターは今、重要な作曲家だ、あと2、3いるね、でもいったいどれだけいる? 今いる作曲家たちを見てみよう。名前は言いたくないけど、多くの作曲家が聴くに値しない。卸売業みたいなことをしている。
クラシック音楽の未来について
BD:あなたは音楽の未来に、楽観的ではない?
HH:楽観的だよ。でも爆発現象には楽観してない、あなたが言うところのね。音楽は続いていく。もっと他の作曲家が現れるだろう。過剰に楽観的ではないよ、実際のところ、音楽はピークに達したと感じることがある。
私たちは1500年代くらいからの音楽を重要としてきた。それ以前にも音楽はあったが、本当に始まったのはたった300年か400年前のことなんだ。長い時間とは言えないね。おそらく自然の経過をたどってきた。最終的に、音階におけるたくさんの調性を持つことになった。あとどれだけ生み出すことができる? わたしには確信がある、オペラハウスやオーケストラを見れば、99パーセントが「クラシック」音楽だからね。
BD:では私たちは可能性を使い果たしたと?
HH:そうだ。本当にそう思うね。
BD:今もコンサートに行く楽しみを持ってますか?
HH:ああ、それはもちろん。できる限り行くし、それについて書きもする。楽しんでいるね。
BD:あなたはこれからも書きつづけるんじゃないかと。
HH:うん、書くよ。
BD:あなたがこれまでに書いてきたものに感謝の言葉を言いたいですし、あなたが新しい音楽のために出版社で成してきたこと、その影響力にお礼を言いたいです。あなたなしには、あなたの影響力なしには、音楽界はずっと貧しいものになっていたでしょう。
HH:そうですか、そう言ってもらえて嬉しいですよ。
BD:そして今晩、こうしてわたしとおしゃべりしていただいて、それにもお礼を言いたいです。
HH:ありがとう。素敵な時間でしたよ。
記事提供元:Web Press 葉っぱの坑夫