神に祝福された1人のテノール歌手の軌跡

オペラファンはもとより、音楽ファンにとっても待望の映画、「パヴァロッティ 太陽のテノール」が2020年6月5日、ついに日本公開となる。

「イタリアの国宝」と賞されるルチアーノ・パヴァロテッティ(Luciano Pavarotti)の、この完全ドキュメンタリー映画は、監督ロン・ハワード×録音技師クリストファー・ジェンキンズによって実現した。

アカデミー賞に輝いた経験のある2人がタッグを組んだことにより、2007年に膵臓がんによって去ってしまった偉大なテノール歌手の、エネルギッシュで丁寧な歌声がスクリーンに蘇った。

 

ルチアーノ・パヴァロッティとは

たっぷりと蓄えた黒ひげに大きなお腹。白いハンカチーフ。歌える人が限られるハイCを難なく歌いのける伝説的なテノール歌手、といえばオペラファンならすぐに彼を思い出すはず。

ルチアーノ・パヴァロッティは1935年、イタリアのモデナに生を受けた。パン屋を営みつつテノール歌手として合唱団に所属していた父親の背中を見て育ったパヴァロッティは教師として働いていたが、その歌声に母親から太鼓判を押され、1961年に国際コンクールで優勝したのを皮切りにプロのテノール歌手としてのデビューを出発させる。

本作ではパヴァロッティや関係者のインタビュー映像を元に、デビュー当時からこの世を去る実質の引退までを丁寧に綴った初めてのドキュメンタリー映画となっている。

 

「キング・オブ・ハイC」パヴァロッティ

パヴァロッティには様々なあだ名が付けられていた。高音の王様、世界最高のテノール歌手、キング・オブ・ハイCなど。

それは、なんといってもパヴァロテッティの魅力の1つがその力強いテノールにあるからだろう。「テノール」とは作られた声であり、もちろんパヴァロッティの地声も歌声とは全く違うものだ。しかし、そのテノールの歌声をまるで地声のように聴かせる力量はいつ聴いても圧巻だ。

劇中では、これぞパヴァロッティ!と立ち上がって手を叩きたいほどの歌声が映画館に響き渡る。まるで自分がその劇場にいる観客の1人だと錯覚してしまうほどだ。

パヴァロッティ

その秘密は、アカデミー賞に3度も輝いた録音技師、クリストファー・ジェンキンズにあるといえる。

3度のアカデミー賞に輝いているジェンキンズは、「生の歌声を聴いた時に体で感じる力強さや鋭さを、映画館でも感じられるようにしたいと考えた」と説明するように、ドルビーアトモスの立体音響技術とパヴァロッティの歌声を結合させ録音し直した。ドルビーアトモスとは音響技術のひとつ。

その特徴となるのが、音が平面ではなく、立体で聞こえる点で、音に3次元性の広がりとエネルギッシュさを持たせるができる。ハワード監督もこの音響技術を用いたことで、アンプを通さない、劇場に響き渡るパヴァロッティの自然の歌声を体感することができるようになったと語る。

劇中で披露される「友よ、今日は楽しい日」(ドニゼッティ作『連隊の娘』)は言わずと知れたハイCオンパレードの喜劇だ。若きパヴァロッティの代名詞ともなったこのアリアがスクリーンで蘇る。

40代以降の白いハンカチーフ片手に重量ある歌い方もいいが、20代後半の無邪気に、のびやかに天井に響いていくハイCは聞き惚れてしまうこと間違いなしだ。

まるで自分のために歌ってくれているかのような声の響きを聴けば、女性ファンが多かったことにも頷ける。

 

歌唱楽曲の多彩さ

劇中に披露される曲は主に10曲ほど。オペラのことは全くわからなくても、このフレーズは聞いたことがあると思える曲もあるだろう。

また、この曲は好きだと感じる曲が見つかるかもしれない。

そのような魅力に一役買っているのが、パヴァロッティの人柄が滲み出た歌声ともいえるだろう。

パヴァロッティ

ストーリーの中でパヴァロッティの愉快な人柄がわかるエピソードが度々登場するが、その代表の1つとして、1990年のカラカラ浴場で行われた、三大テノールによる伝説的なコンサートが挙げられるだろう。

同じく三大テノールの1人であるホセ・カレーラスはインタビューを受けて当時を振り返った。

1987年白血病を患っていたカレーラスはシアトルの病院にいた。すると、パヴァロッティがやって来てねぎらいの言葉をかけてくれたという。

骨髄移植手術も無事に成功し、パヴァロッティは景気祝いに何かしたいと考えた。そうして開催されたのが世紀の豪華競演である。

1990年といえばイタリアではサッカー・ワールド・カップが開かれた年。その前夜祭として開かれたのが、ライバル関係にあったプラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、そしてルチアーノ・パヴァロッティの夢のような競演だったのだ。

ルチアーノ・パヴァロッティ

このニュースは全世界で大騒ぎとなり、6000席のチケットが10分で売り切れたという。

スクリーンに浮かび上がる3人のシルエット。時は夕刻、オレンジ色にライトアップされた3人が映るだけで胸が高鳴る。

加えてドルビーアトモスの音響技術が3人の歌声を際立たせ、まるで自分も屋外ステージにいるかのような感覚を味わうことができる。

パヴァロッティの代名詞ともいえる「誰も寝てはならぬ」(プッチーニ作『トゥーランドット』)は必聴だ。サビの部分で1人力強く歌うパヴァロッティの横で頷くドミンゴとカレーラス。

ライバル同士だけれどお互いの実力を認め合う仲だとわかるこの場面はオペラファンならば嬉しい限りだろう。

そして、オーケストラと合わさった美声、歌い終わった後の観客の大喝采に思わず涙が流れる。

 

パヴァロッティの人生とは

今回ドキュメンタリー映画を製作するにあたって、ロン・ハワード監督はパヴァロッティの人間性についても深く掘り下げている。

テノール歌手としての開花、スターとしての絶頂期、そしてハイCが思う様に出せなくなるまで、ハワード監督はパヴァロッティと関係のあったあらゆる人物達にインタビューを行い、パヴァロッティの心がどのように変化して行ったのかを浮き彫りにした。

娘が難病で苦しんだ過去を持っているパヴァロッティは1992年頃からそのキャリアを活用してチャリティーコンサートをはじめとした慈善事業に着手する。

その周りには、パヴァロテッティの才能に惚れ、その無邪気な人柄に好意を持つ人々によっていつも支えられていた。

その中でもU2のボノが語るエピソードはユーモアに富み、パヴァロッティに対する温かな愛に溢れている。

ボノは当初、パヴァロッティからの曲のリクエストを断り続けていた。しかし、パヴァロッティは諦めず、ボノのイタリア人家政婦を味方に付け、遂にはダブリンの家まで行ってしまう。ボノは無邪気な笑顔のパヴァロッティに根負けし、2人は固い友情で結ばれたのだ。

Luciano Pavarotti, Brian Eno, Bono, The Edge – Miss Sarajevo (Live)

喉が重くなり思う様に歌えなくなっていく体。

周囲からのバッシングに遭いながらもパヴァロッティは自分の決めた道を走り切り、太陽のような性格で人生を謳歌した。神に祝福された声を持って生まれ、歌に生きたテノール歌手ルチアーノ・パヴァロッティ。その軌跡をぜひスクリーンで味わい、聴き入ってほしい。

 

監督:ロン・ハワード『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』
2019年/イギリス・アメリカ/ビスタ/5.1chデジタル/115分/字幕翻訳:古田由紀子 字幕監修:堀内修
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配給:ギャガ

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