韓国・ソウルで進行中の、ECMレコード50周年を祝うエキジビション「RE: ECM」とそのコンテンツの一つであるサウンド・インスタレーション「Small Places」。10月18日12時にスタートし、来年2月29日に終了します。ソウルの会場ストレージ・バイ・ヒュンダイ・カードと同時進行でネットでも同じ音の体験ができ、ECMのすべてのアルバムをリアルタイム・ストリーミングで聴くことができます。
All photos courtesy of Mathis Nitschke and Storage by Hyundai Card
https://smallplaces.art/
2020.2.29を持ちまして終了しました。
10月26日(土曜日)朝9時ごろ
朝食のときSmall Placesにアクセスしたら、インドのヴァイオリン奏者L. シャンカルとテナーサックスのヤン・ガルバレク(ノルウェー)の不思議な何ともつかない、すすり泣くような音響が流れてきた(「Vision」)。ちょっとしてそれが止まると、突然、ピンポン玉を打ちあう音が。???
次に始まったのが、マルクス・シュトックハウゼン(あのシュトックハウゼンの息子)の軽快なトランペット(「Continuum」)。画面上にはNow On Airという文字とともに、「ECM 1266 / Release: 01.03.1984」の情報。ジャズ? おおよそそんな感じではあるけれど、スティーヴ・ライヒみたいな感じもちょっとある。マルクス・シュトックハウゼンを調べてみると、1957年ドイツ生まれのトランペット奏者、作曲家とあって、ジャズと室内楽・オペラを行き来する音楽をやっているらしい。あとの方は父親とのコラボレーションが多いとも。
先ほどの『Vision』の欄を見ると「再生済み」の表記になっている。そして次のアルバム『Theatre』のところには「あと39分と43秒」とある。その下を見ていくと、「あと○時間○分○秒」の表記が延々とつづく。
ズルズルっとスクロールしていって、目ぼしいものを探す。チック・コリア、パット・メセニー、キース・ジャレットなどジャズの人がいて、「6時間23分内」にジョン・アダムズの『ハルモニウム』(合唱・オーケストラ)を発見。うーん、夕方4時過ぎか。あ、その前にアルヴォ・ペルトの『タブラ・ラサ』があった。
ピンポン
RE:ECMのプレスリリースを見ると、まずピンポンのことが書かれています。「ピンポンは音楽制作における様々な側面を表すメタファー。プロデューサーとミュージシャン、ミュージシャン同士、リスナーと音楽の間のやり取り、相互作用といった関係を表します」
ソウルの会場にはピンポン台を模した低いステージがセットされ、その上に大型のクッションソファが置かれています。ギャラリー壁面を見ると、キース・ジャレットとECMの創設者でプロデューサーのマンフレート・アイヒャーが、ピンポンをしている写真が展示してあります。アルバム交換のときにピンポンの音がするのは、こういった意図からだったのでしょう。Small Placesは、ミュンヘン在住のサウンド・デザイナー、マティス・ニチケ(Mathis Nitschke)による作品です。
10月26日(土曜日)午後2時半すぎ
アルヴォ・ペルトの『タブラ・ラサ』がはじまった! 1984年リリースの、ペルトにとってECM最初のアルバムだ。ここから本格的にECMの現代音楽への取り組みがはじまったと聞いている。
第1曲『Fratres』:ヴァイオリンのギドン・クレーメルとピアノのキース・ジャレットの共演。第2曲『ベンジャミン・ブリテンの思い出に』とつづく。全5曲、54分。アルバム『タブラ・ラサ』はSpotifyで以前にも聴いているけれど、こうしてリアルタイム・ストリーミングで世界中の人とともに聴いていると思うと、新たな感動に包まれる。アルヴォ・ペルトもいま聴いているだろうか(そんなことはないか)。
1380時間
ECMの全アルバムをノンストップで流すというこの企画。ギャラリー会場がクローズしている間も、音楽はノンストップで流れるそう。それはネットのリスナーを意識しているからなのか、それともECMのヒストリーをライブでリプレイするのだから(時間の流れは止められない!)、会場の条件は関係ないということなのでしょうか。確かに夜の間は音楽が止まっているとしたら、ちょっと興ざめですね。
Small Placesのサウンド・デザイナー、マティス・ニチケは学生時代、アパートを出るとき、かかっているアルバムを止める習慣がなかったそうです。途中で止めるのは、音楽に対して失礼じゃないか、と考えていたそう。中でもECMのような精緻に構築されたレーベルのアルバムに対しては。今回の企画を進めている間、そのような若かった頃の感覚が戻ってきたと述べています。
ところで、ECMの全カタログをリプレイするための所要時間は約1380時間(ほぼ2ヶ月)とか。1969年にリリースされたマル・ウォルドロン・トリオの『Free at last』を筆頭に、ほぼ年代順に流れるようです。そして終わりまで行ったら、逆順に最初まで戻るというプログラム。来年2月29日まで、この4ヶ月のイベントはつづきます。
10月27日(日曜日)午前9時半ごろ
ノーマ・ウィンストンのヴォーカルで「Azimuth ’85」。久々に聴くジャズヴォーカル、なかなかいいかも。11時ごろ、ギドン・クレーメル「Edition Lockenhaus, Vol.1&2」がかかる。
10月29日(火曜日)午前10時ごろ
キース・ジャレットによるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」、1988年4月リリースのもの。クラシックのピアニストの演奏とどこが違うかなぁ、と思いながら聴く。ジャレットによるこの楽曲のコンサート版(スタジオ録音の1ヶ月後の’87年3月)が、今年ECMから発売されている。そのノートによると「透明性がゴールの一つ。それがリスナーを作曲家に近づける」とある。また「バッハを弾くとき、その思考のプロセスを耳にしているようだ」とも。
ECMのレパートリー&アーティスト
ECMの作品を意識して聴くようになったのは、わりに最近のことです。アルヴォ・ペルトのアルバムが最初だったでしょうか。現代音楽のレーベルかと思っていたら、出発はジャズのようでした。今は様々な音楽が混在していますが、名前の「Edition of Contemporary Music」が表しているように、今の時代の音楽、というのが焦点ではないかと思います。1980年代に現代クラシックのシリーズを始めてからは、ジョン・ケージ、スティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムスなど、アメリカの現代音楽作曲家の大物たちのレコーディングをしています。
最晩年を生きるECMの人気作曲家たち【クルターグ、ホリガー、ペルト】
クラシックともジャズとも聞こえない音楽も結構あって、アルバニアなど東ヨーロッパ方面に面白い作品があったりします。たとえば今年ECMデビューしたアルメニアの血を引くヴォーカリスト、アレニ・アグバビアンの「Bloom」とか、コソボなどの民謡を歌うアルバニア人シンガー、エリーナ・ドゥニの「Partir」など。また、世界中を旅して様々な民族楽器と出会い、それを集め、自分の音楽世界をつくってきたステファン・ミカスのような音楽家もいます。「White Night」ではチベット、ガーナ、ボスニアなどの地域の楽器で、独自の音楽世界を繰り広げています。
「地理的、文化的、歴史的境界を超えて行く」というのがECMのモットーの一つのようで、ジャズ、クラシック、トラディショナルと入り混じっていても、曲のセレクションや組み合わせ、演奏者の選択、高度で精緻な録音技術、ジャケットデザインと、美意識やコンセプトにブレがないので、Small Placesで次々にかかるジャンルの違う音楽が、違和感なく同居できているのでしょう。
10月30日(水曜日)午後4時ごろ
アグネス・ビュエン・ガルノスというノルウェー民謡歌手のアルバム「ローゼンスフォーレ」がかかる。なかなかいい。言葉はノルウェー語。バックの音響、楽器、リズムも面白い。クレジットにヤン・ガルバレクの名前があった。アグネスが子どもの頃、母親が牧草地で歌っていた曲も入っているらしい。ジャケットの写真は、シカではなくてカリブーだろう。
今日は通信の状態がよくなくて、音が途切れたり止まってしまったりだった。あとでSpotifyでゆっくり聴き直そう。
RE:ECM・ソウルの会場では
この企画の素晴らしさの一つは、サウンド・インスタレーションの体験がネットでもできること。一方、発信元であるソウルの会場は、どのような仕掛けになっているのでしょう。
下の写真(1)はある日の会場風景です。ピンポン台を模したステージでは、ソファで人々が思い思いに音楽を聴いています。ガーゼで仕切られた向こう側の部屋は、照明が当てられ、こちら側は暗くなっています。曲が変わるごとに、この照明が切り替わり、今まで「オブジェクト」として見られていた側が、今度は「鑑賞者」に変わる、という趣向らしいです。見る側と見られる側が曲ごとに交替する、視覚のプレゼンテーションということなのでしょう。「音楽を聴く人を見る」という体験は面白いかもしれません。
この企画はヒュンダイ・カードの委嘱によるもので、キュレーターは、Jean Im、Hyunseuk Kim、Sun Chung。ECMは音源やジャケットの提供で協力しているようです。
10月31日(木曜日)午前7時ごろ
先日初めて聞いたL.シャンカルの「Pancha Nadai Pallavi」というアルバムがかかる。ストリングスと声、インド風の旋律が朝のテーブルに流れる。声が弦にかぶさるように、重なるように歌われる。ダブルヴァイオリンと歌、シャンカルとなっている。ダブルヴァイオリンとは? 調べたところ、彼の発案による10弦の立体音響ヴァイオリンらしい。歌いながらヴァイオリンを弾いているのだろうか。その可能性もありそうだ。他にタブラ、ガタム(南インドの古い打楽器)などの楽器が使われている。
朝っぱらからインド音楽、こんな体験もリアルタイム・ストリーミングならでは。でもNYなら夕方だし、セネガルなら夜中近く、そこではどんな風にこの音楽を聴いているだろうと想像してしまう。ECMの音楽世界に魅せられたファンは、世界中にいる。
ECMとマンフレート・アイヒャー
ECMレコードは、1969年にマンフレート・アイヒャー他2名によって創設されました。そこから50年。「沈黙のつぎに美しい音楽」を合言葉に、ジャンルに縛られない音楽制作を続けています。アイヒャーはプロデューサーであると同時に、優れたレコーディング・エンジニアでもあり、自分自身を音楽制作に関わるアーティストの一人、と見立てているかもしれません。それくらい一つ一つのレコーディングに深く関わり、彼なしにはどんなアルバムも生まれなかったのでは、と思わされるところがあります。
ECM50周年のPVの終わりに、アイヒャーとアルヴォ・ペルトが手を取り合ってダンスしている映像がありました。キース・ジャレットとのピンポンといい、プロジェクトを組む音楽家との心からの信頼関係、深いコミュニケーションがあっての音楽制作なのでしょう。
50年にわたるECMのミュージック・ヒストリーをリアルタイム・ストリーミングで流し、世界配信するという企画は、ECMというレーベルのここまでの歩みを表現するのに最適かもしれません。このプロジェクトでECMの音楽に触れ、自分の好きな作品やアーティストを見つけた人がたくさんいたらいいですね。
11月1日(金曜日)午前7時少し前
エレニ・カラインドルーの「Music For Films」がかかっている。タイム・マガジンによると「ギリシアで現存のもっとも表現力豊かな作曲家」とのこと。ギリシアの、そして女性作曲家となると他に知っている人がいない。ここでもテナーサックスのヤン・ガルバレクが参加している。
同日午後3時すぎ
テリエ・リピダルのジャズ・ギターが終わって、ヴェルナー・ベルチというスイスのピアニストのモーツァルトが始まった。『幻想曲K.475』。他の作品にアルヴォ・ペルトやブゾーニの名前がある。はっ、と気づいたらいつの間にか、すごい現代曲に変わってた。ECMのサイトで調べたら、最後はモーツァルトのピアノソナタK.333になってる。なんというプログラム。どんな人かと写真を見たら、真っ白な長いあご髭の仙人風の人だった。
11月2日(土曜日)午前9時
(ニューヨーク、ジャズ・アット・リンカーンセンター)
Small Placesから離れるけれど、この日東部時間11月1日午後8時より、ECM50周年記念コンサートがあり、ライブ・ストリーミング(Vimeo Livestream)で世界配信された。ブラジル人Gismontiのピアノソロでスタート。視聴者のチャットで「これっていわゆるジャズ(アフリカン・アメリカンの即興)っていうより、現代即興音楽じゃない」と言っている人がいた。
11月5日(火曜日)午前7時過ぎ
ステファン・ミカスの「Athos」(1994年)がかかっていた。尺八のような音がしていた。世界中を旅して、その地域の楽器や音楽を取り入れている音楽家だ。