先日(2019年4月15日)、世界文化遺産のノートルダム大聖堂が大きな火災に見舞われたという衝撃的なニュースが全世界を駆け巡りました。大聖堂内部には磔にされたキリストがかぶっていたとされる「茨の冠」といった聖遺物に数多くの絵画や彫刻作品に加え、名物の「バラ窓」、そして歴史的な大オルガン[実働115ストップ、五段手鍵盤と足鍵盤、パイプ総数7,800本]もありました。

幸い、聖遺物や大聖堂所蔵の芸術作品は聖職者、ならびに消防士たちの懸命な救出作業によってからくも焼失は避けられましたが、さすがにオルガンは動かすことができないため、オルガンがどのような状態なのかが気になるところです(筆者がTVニュース映像で確認したかぎり、外見上の大きな損傷はないように見えました)。今回は、ノートルダム大聖堂のオルガンをはじめ、パリ市内の由緒ある教会に多数のオルガンを建造した19世紀の名オルガンビルダー、アリスティド・カヴァイエ=コル(1811-99)について。

 

バスク系のオルガンビルダー一家、カヴァイエ=コル

カヴァイエ=コル一族の出自はフランスではなく、北スペインのバスク地方。のちにトゥールーズ近郊に居を定めた一族は、アリスティドの祖父の叔父でドミニコ会修道士だったジョゼフ・カヴァイエが始めたオルガン建造を代々、受け継ぐようになります。祖父の叔父ジョゼフ、祖父ジャン・ピエール、そして父ドミニク・イアサントと、ヨーロッパ有数の音楽一家だったバッハ一族を思わせる職人肌のオルガンビルダーたちに囲まれて育ったアリスティドは子どものころから手先が器用で、創意工夫の才に長けていたと言われています。1833年、父に連れられパリに向かった20代前半の青年アリスティドは、父と共作でサン・ドニ大聖堂のオルガン建造コンペで入賞。若くして新オルガン建造の契約を勝ち取ったことで注目を集めます。

以後、昔ながらの伝統と革新性を融合させた独自の様式美を持つオルガンをつぎつぎと建造し、彼のもとにはフランス国内はもとより米国やインドなど海外からも注文が舞い込みます。彼の建造したオルガンは、それまでのフランスのオルガンと比べてどこが革新的だったのでしょうか?

 

「ひとりオーケストラ」としてオルガン音楽を復興させたカヴァイエ=コル

アリスティドがオルガン建造にもたらした最大の革新。それは、「ひとりオーケストラ」を実現させた《シンフォニック・オルガン》を発明した、ということに尽きると思います。

「ひとりオーケストラ」を実現させるために彼が自身の楽器に加えた工夫として、つぎの3項目が挙げられるかと思います。

• パイプ列ごと、あるいは高音部 / 低音部に分けて、それぞれ異なる風圧を採用したこと。また、風圧を上げて音量を増大させたこと
• 「ウンダマリス」、「ヴォア・セレスト」など、2本のパイプでわずかな音高差を持たせた音色のストップを効果的に導入したこと
• 「トランペット・アルモニク」、「フリュート・ハルモニック」など、管弦楽の音響効果を模倣したパイプ発声機構を発明したこと

このほかソロとして使用可能なソロリード管や、英国人チャールズ・バーカーの発明した「バーカーレバー」方式の採用、それまでの寸詰まりで音域の狭い足鍵盤からドイツ式大型足鍵盤への切り替えと、カヴァイエ=コルがもたらした数々の新機軸はそれまでのフランスオルガンのイメージを一新させました。同時期、バッハの故国ドイツでは残念ながらオルガンの機械化が進み、クラシック音楽の主流からほぼ完全に脱落。カペルやナウムブルクなどの辺鄙な小村に残された歴史的楽器のみ「改悪」と言えるような改造も受けずにひっそりと命脈を保っていたのでした。対してフランスではカヴァイエ=コルの革新的オルガンのおかげで、従来の教会音楽とはまったく異なるあらたなオルガン音楽芸術の花が開花することになります。

またカヴァイエ=コルの《シンフォニック・オルガン》は、クープラン以来の、色彩的なフランスのオルガン流派特有の表現スタイルをさらに強力に推し進めることにもなりました。たとえばおなじロマン派でもドイツのレーガーとはまるで異なり、19世紀から20世紀にかけてのフランスのオルガン作品は華やかでカラフル、聴いて楽しい作品が多いのも大きな特徴。カヴァイエ=コルによって革新的オルガンを得たフランスの作曲家らは、競ってこの新しい《シンフォニック・オルガン》のために作品を書くようになります。

パリ / ノートルダム大聖堂のカヴァイエ=コル・オルガンによる、デュプレ『ノエルによる変奏曲 Op.20(出版 1923)』[オルガン独奏:イヴ・ドヴァネイ]

 

あのフランクもこよなく愛したカヴァイエ=コルのオルガン

カヴァイエ=コルのオルガン建造でもっともすばらしいのは、手工業的伝統を頑なに守った、ということかと思われます。かたや最新の音響効果を狙いつつ、その建造法は頑固なまでに昔気質。この一見相反する要素がみごとに一体化したオルガンこそ、カヴァイエ=コルの目指した理想のオルガンでした。パリのノートルダム大聖堂オルガンを改修・拡張したとき、18世紀のオルガン建造家クリコによって製作された先代の楽器の古いパイプ群を一部そのまま利用したのも、そうした彼のポリシーの表れかと思います。

そんなカヴァイエ=コルのオルガンに心酔したベルギー生まれの作曲家がいました。セザール・フランク(1822-90)です。とりわけ、パリの聖クロチルド教会のカヴァイエ=コル・オルガンが大のお気に入りだったと言われています。彼はこのオルガンのサウンドとレジストレーションを前提に、『3つのコラール(1890)』を書いたとされています。また、少年合唱好きのあいだで人気の高い名曲「天使のパン[Panis Angelicus]」も、ここクロチルド教会オルガンの即興演奏から生まれたミサ曲の一部をなす作品です。

フランクの盟友でもあったサン=サーンスや『レクイエム』でおなじみのフォーレもまた、マドレーヌ寺院オルガン奏者としてカヴァイエ=コルの建造したオルガンを弾いており、フランク同様、カヴァイエ=コルの楽器を高く評価していました。

セザール・フランク『オッフェルトリウム[奉献唱] 変ホ長調』[オルガン独奏:ディエゴ・インノチェンツィ、リヨン / 聖フランソワ・ド・サル教会のカヴァイエ=コル・オルガン]

 

デュプレ、ヴィエルヌ、そしてメシアンも弾いたカヴァイエ=コルのオルガン

カヴァイエ=コルが当時のフランス音楽界に与えた影響はきわめて大きく、それは「ひとりオーケストラ」=「オルガン交響楽派」なる音楽家たちの出現にも表れています。この「オルガン交響楽派」はフランス特有のオルガン流派で、フランクの様式を継ぎながらも個性的な作品が多く生まれました。たとえばヴィルトゥオジティ全開なマルセル・デュプレ(1886-1971)。彼は1920年、バッハの全オルガン作品を「暗譜で弾き通す」連続演奏会を開いて人びとの度肝を抜くなど、コンサートオルガニストの草分け的存在。この流派の作曲家ではほかにデュプレの師匠ルイ・ヴィエルヌ(1870-1937)、フランクの流れを引き継ぐアレクサンドル・ギルマン(1837-1911)やシャルル=マリ・ヴィドール(1844-1937)らがいます。ヴィドールのオルガン作品でいまなおよく演奏されるのは、おそらく『オルガン交響曲 第5番』の終曲「トッカータ」でしょう。教会での結婚式のときに耳にした、という方もいるかもしれません。そして「密林の聖者」としてノーベル平和賞も受賞したアルベール・シュヴァイツァー博士(1875-1965)も、ヴィドールの弟子のひとりでした。

デュプレが「オルガン交響楽派」の超絶技巧派の代表なら、「オルガン神秘主義派」の開祖と言えるのがシャルル・トゥルヌミール(1870-1939)。彼が聖クロチルド教会のカヴァイエ=コル・オルガンで行った即興演奏はたいへんな人気で、なんと聴衆のなかにはあのメシアンもいたとか。トゥルヌミールの薫陶を受けた作曲家としてはメシアンのほかにジャン・アラン(1911-1940)、モーリス・デュルフレ(1902-1986)、ガストン・リテーズ(1909-1991)、トゥルヌミールの直弟子ジャン・ラングレ(1907-1991)などがいます。「オルガン交響楽派」と「オルガン神秘主義派」の両派に共通するのは、カヴァイエ=コルの建造したオルガンの響きを前提にしていた、ということです。

カヴァイエ=コル・オルガンによるヴィドール『オルガン交響曲 第5番』の終曲「トッカータ」[オルガン独奏:イーサン・ラプラカ、パリ / 聖シュルピス教会のオルガン]

 

カヴァイエ=コルが修復、建造したオルガンの総数は600基を超えると言われ、あらためて彼の残した業績の大きさに驚かされます。カヴァイエ=コル没後120年の節目の年にあのような災難に見舞われたのは残念ではありますが、ノートルダム大聖堂の大オルガンが、ふたたび豪壮華麗な響きを取りもどす日が一日も早く来るよう願ってやみません。