中華人民共和国建国の3年前にアメリカに渡った周文中は、学ぶ予定だった建築を捨て、音楽家への道を進みます。古い時代の中国の音楽と新天地アメリカで出会った現代音楽が、一人の人間の中で対話し、混じり合い、新たな音楽の模索へと歩を進める、そのようなポジションに自分が立てたことは幸運だった、と周は語ります。

インタビュアーは、シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。

周文中(Chou Wen-chung, 1923 – )について:中国に生まれ、小さな頃から古琴や二胡といった楽器に親しみ、ヴァイオリンやマンドリンなど西洋の楽器でも遊んでいたという。中国の大学で建築を学んだ後、イェール大学の奨学金を受けてアメリカに渡る。アメリカで建築を学ぶ予定が、音楽家になる夢が捨てきれず、一大決心をして進路を変更。エドガー・ヴァレーズなどの元で作曲を学び、たくさんの作品を生み出すとともに、コロンビア大学で長く教鞭をとっていた。

周文中
From the video “In the studio with Composer Chou Wen-chung”  produced by Jennifer Hsu

*このインタビューは1995年、電話により行われたものです。

アメリカの大学で教えること

ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは大学で長く教鞭をとってきました。作曲する時間は充分に取れるんでしょうか?

チョウ・ウェンチュン(以下CW):そうですね、難しい質問です。いつも自分の作品に割く時間を見つけるのは、大変でした。教えることに加えて、たくさんのプロジェクトも抱えてきたのでね。一方で、学生たちとの時間は非常に大切なものでもあるんです。いろいろな意味で、教えることは最高の刺激になります。だからこれについて不満を言おうとは思いませんね。

BD:アメリカの学生たちにとって、あなたが、言うなれば異国的なものを持ち込んでいることが、特に重要だと感じていますか。

CW:そうですね。ご想像のとおり、多くの時間は西洋音楽における近代的な作曲法を教えているわけで、わたしの授業でも、現代音楽におけるテクニックや考え方を基本にしています。しかしながら作曲というものにおいては、わたしの個人的なものの見方や、アジア音楽の知識というものが出てきます。確かに、学生たちにそれが衝撃をもたらすこともあります。しかし概念としては、作曲家志望者たちの教育の中で、音楽における違う次元のものを見せているということだと思います。

BD:教える中で、あなたが自身のものの見方や基本哲学を持ち込まないなんて、想像ができませんけど。

CW:それは間違いないですね。避けられないことだから。もう一つ言えることは、わたしがエドガー・ヴァレーズ*に学んでいたときのことを例にとれば、彼の教え方の中には、アジアの伝統にはまるものがあると、のちに気づきました。つまり簡単に言えば、教えるということは、一種、個対個の体験となります。自分の考えを生徒に伝える。彼らの音楽をどのように見ているか、といったことですね。ある意味、その経験は普遍的なものになる、と言うことです。

*エドガー・ヴァレーズ:フランス出身のアメリカの作曲家。電子音楽の先駆者として知られる。1883〜1965年。

BD:両者が見えるあなたの立場からいうと、西と東の文化の基本的な類似点、相違点は何なんでしょうか。

CW:わたしたちは音を扱っています。また人間の情動を扱っています。心理を扱い、表現の手段を扱っています。違いを生むのは、どこが強調されるかです。コミュニケーションが一つの鍵になると思います。何を伝えたいか、音楽制作において、自分の考えをどのように系統立てるかだと思います。

BD:しかし中国の人々の日常と、アメリカの人々の日常では、ものすごく違いがありますよね。それともわたしの思い込みでしょうか?

CW:(笑)まさにそうだと思いますよ、それに異論はないですね。一方で、もっと深く掘り下げれば、ある環境に対しての個人の反応を考えるなら(基本的にわたしたちは自分の置かれた世界への反応について話しているわけで)、その意味で反応というのは原理としては同じだと思うのです。そこで起きる衝動は同じです。それはまさに表現の手段であり、先に話したように、強調、つまり興味の焦点でもある。

実際のところ、この側面についてよく話すんです。教室の窓の外を見て、学生たちにこう尋ねます。「ニューヨークに何を見ますか? コンクリートとスティール? 街で耳にするのはサイレン、空気ドリルの騒音とか様々な雑音があり、一方で過去には、東でも西でも、作曲家たちはかなり違うものを見てきたし、かなり違う音を聞いてきましたね」 しかしわたしたちができることと言えば、実際にあるものを扱うこと、つまり自分のまわりに存在するものです。

だから根本的には、音楽をとおしてコミュニケートしたいという気持ち、音楽をとおして気持ちを表現したいという欲望は、普遍的なものだと思うのです。その取り組みがものごとを変化させます。しかしそうであっても、美意識の問題はあります。そこには大きな違いがあり、その理由は、違う文化の中にある美意識は、何世紀にもわたって築かれてきたものだからです。よってある社会と別の社会では違いが出てくる。作曲家はそこのところに注意を払うべきじゃないでしょうか。

 

中国というバックグラウンド

BD:音楽を書いているとき、音楽を発見するのでしょうか、それともあなたがそこで音楽を作っているんでしょうか。

CW:両方をやってますよ。(笑)発見がなければ、作ることはできません。何の発見も見い出せなかったら、何もないところからいったいどうやって音楽を作ればいいんでしょう。

BD:あなたは1949年の革命以前の中国で育ちました。そして革命が成し遂げられる前に、アメリカにやって来ました。その通りでしょうか?

CW:あってます。1946年に、わたしはアメリカに来ました。

BD:ということは、あなたの思想的なものは、王朝時代のものに多くは拠っているということですか? 1950年代初頭に中国の人々に起きた変革の経験なしに。

CW:そうです、はい。

BD:あなたの思想が、この出来事に影響されなかったことをありがたく思ってるんでしょうか。

CW:そうですね。1950年代、60年代を体験することなく、この国で音楽をできる特権を与えられたことに感謝していますよ。政治の問題に強い関心があるわけではないですが、中国文化が失われたことは考えますね。

BD:今あなたが立っている場所を好んでますか?

CW:ええ、とても。(笑)今の世の中に生きて、とりわけわたしのようなバックグラウンドを持っていることは、特権だと思います。それによりたくさんの機会が与えられていると感じます。なのでそれを特権と感じるわけです。これについては、自分の中ではっきりとしたものがあります。

BD:あなたはアジアの伝統と西洋の伝統を引き合わせようとしてます。この二つを一つに合わせて、シチューのように煮込んですべてが溶け込むこと望んでいるのか、それともサラダのように一つ一つはより識別できるのがいいのか。

CW:この国では、メルティングポットという言い方をしますね。人によっては「トストサラダ(和えもの)」と言うかもしれない。おそらくその中間ではないでしょうか。わたしが言いたいのは、未来においては、アーティストは自分の入れたい素材を自由に選ぶという贅沢ができ、そこから何かを学び、自分の表現を発展させることができるだろうということです。わたしは中国人として生まれ、中国の文化を受け継いでいるからといって、中国文化のみに固執せねばならないのか、それとも、わたしはアメリカに住んでいるから、西洋の手法のみで音楽を表現をしなければならないのか。そんなことはないわけです。

 

 

 

若い音楽家の演奏について

BD:あなたの音楽は中国で演奏されたことはあるんでしょうか。

CW:たくさんありますが、多くは西洋楽器の訓練を受けた音楽家によるものです。しかし面白い話があって、わたしは中国の伝統的手法をベースにした、9人の演奏家のための楽曲を2、3書いています。中国楽器ヂァン(箏、中国のツィター)のための古い曲に由来するものです。中国古典音楽の全国会議で、この曲を聴いた中国の人々から、自分たちが親しんできた音楽の精神を実によく捉えている、と言われました。しかしそれは耳で聞いたものに対してです。その曲は9つの西洋楽器のための曲です。つまり言いたいのは、ある精神や哲学を目指して書いているということです。どう演奏されるということよりもね。

演奏に関しては、もちろん基本的にわたしは西洋の楽器をつかいますし、よって西洋の技法になります。とはいえ概念的には、たくさんの問題があります。実際のところリハーサルでは問題にぶつかります。気にはしていません。あらゆることは時とともに進化しますから。今でもリハーサルのときは苛立ったり失望したりしますが、ここ何年かの間に、若い音楽家たちがとてもよく演奏するようになっていると感じますし、わたしが音楽に求めているものを、昔みたいな難しさを感じることなく理解するようになっています。

BD:良くなっているというのは技術的になのか、音楽的になのか。

CW:概念としてだと思います。今日までに、演奏家たちは非西洋の音楽の美学やそこに必要とされるものに目を向けるようになっていて、それに対する理解があるのです。

BD:何年かの間にあなたが書いてきた音楽には、バランスはあるのか、つまり芸術的な達成と娯楽としての価値のどのあたりにバランスがあるのでしょう。

CW:これについても、今の時代には、「芸術」と「娯楽」という言葉の定義にたくさんの混乱がありますね。わたしにとっては、芸術のみのもの、純粋芸術というものはないんです。芸術は楽しみをもたらすものであり、それは娯楽になります。しかしある作品が純粋に娯楽を目的として書かれるとしたら、それが何を意味するのか考える必要があります。ある人にとって娯楽であるものが、他の人にとってもそうであることはないでしょう。聴く人を必要としない、という態度をわたしは取りませんし、聴き手を楽しませなければいけない、という態度も取りません。もしこのどちらかを取るなら、その人は自分に対して忠実ではないかもしれません。人がなぜ作曲をしたいと思うのかの、もっとも重要な理由がここにあります。

 

アジアを旅して学んだこと

BD:最後の質問です。作曲は楽しいですか?

CW:素晴らしいものです。特別な体験ですよ。楽しくもあり苦しくもあります。大変な苦痛に陥りますが、それを手にしたら、終えることができたときは、他に比べるものがないですね。それを逃したくはないです。

BD:いいですね、それは。あなたのさらなる成功を、中でも「アメリカ・中国芸術交流センター(the Center for U.S.-China Arts Exchange)」の進展を願っています。どちらの側にとっても、理解の助けになってきたのでしょうか?

CW:ええ、おおいにね。互いの理解のために、そして何か成すために互いを助けるという意味で、何が必要とされているか、何を成すべきかについて主に考えています。そのために、わたしたちは非常に重要なプロジェクトを実施してきました。たとえば中国の最南端で、5年計画のプロジェクトを今やっています。

そこは東南アジアの国々の真ん中に位置しているわけです。少数民族の村々の文化に関わっているのですが、東南アジアでは、同じルーツをもつ人々が国を違えて一つの文化を分け合っています。わたしたちがやっているのは、彼らの文化をよりよく保存し、さらに進化させることです。非常にワクワクする仕事です。しかし、こういう仕事を始めてもう18年間になりますが、これに関わった人たち皆がそうであるように、わたし自身がそこから大いに学んできました。このような仕事をする体験は、作曲家にとって、とてつもない刺激になるのです。

わたしたちのプロジェクトは、中国とアメリカの間にかぎったことではないということですね。音楽にかぎらず、中国とアメリカの間のあらゆる文化もです。そのために、わたしはアジアの国々を広く旅してきましたし、人々と話をし、文化の違いについて知りました。非常に刺激的なことでした。本当のところ、わたしはすべての作曲家に、あらゆるアーティストに同じことを勧めたいですね。人の心を開く、1番の方法だからです。こういうことをする中で多くを学びましたし、また他の人々に何か差し出すことによって、より多くのものを得たと言えるんです。

BD:そうですね、そうですね。あなたが自分の心を開き、作品を大きく羽ばたかせ、それをわたしたちに分けてくれて、とても嬉しいです。

CW:ええ、わたしは自分がそうできる位置にいることを幸せに感じています。先に言ったように、今この時代に生きていることをありがたく思いますし、よその違う文化を理解することに、心を砕いているのです。「理解する」という言葉では、足りないかもしれません。わたしが、他の文化から学ぶということの意味は、自分の心を研ぎ澄ますことであり、自分の地平を広げることであり、そこにこそ人間の未来はあるということなんです。

 

 

 

記事提供元:Web Press 葉っぱの坑夫