クラシック音楽で年末の定番といえば、日本においては断トツでベートーヴェンの『第九』こと『交響曲 第9番 ニ短調 Op.125』ではないでしょうか。
では、新年を飾るクラシック音楽の定番は?とくると、ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでもおなじみの、ヨハン・シュトラウス1世作『ラデツキー行進曲』や、シュトラウス2世のウィンナワルツになるのではないかと思います。
今回は、シュトラウス一家のウィンナワルツの中でも、知らぬ者はいない不滅の名曲『美しく青きドナウ』誕生にまつわる物語を紹介します。
目次
『美しく青きドナウ』誕生物語
ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートではアンコールの定番となっている本曲の誕生には、紆余曲折ありました。その経緯を、さっそくたどっていきましょう。
シュトラウス家~音楽一族のはじまり~
『美しく青きドナウ』の作曲者であるヨハン・シュトラウス2世は、父1世と同じくウィンナワルツの作曲家として知られています。しかし、彼は父親からよく嫌がらせを受けていたとか。
息子にこんな浮草稼業はやらせたくないという親心から……というのが理由だったようですが、1849年にその父が世を去ると、シュトラウス2世は父の楽団を自分の楽団に吸収して活動を一本化し、興行主としての才能をいかんなく発揮。あまりの忙しさに過労で倒れてしまうほどでした。
療養中の彼の代役として、母アンナに声をかけられた次男ヨーゼフと末弟エドゥアルトもまた、音楽家の道を歩むことに。結果的にシュトラウス・ファミリーは、バロック音楽の大成者バッハ一族と肩を並べるほどの音楽一族として名を成すことになります。
最初は書くのがイヤだった?!
1866年7月、ハプスブルク家の統治するオーストリア帝国が、プロイセンとの戦争で手痛い敗北を喫しました。帝国の領民、とりわけワルツが大好きな貴族たちは、舞踏会でのんきにワルツを踊るどころではなくなったのです。
当時のウィーンの空気は、いかんとも形容しがたい、どよーんと沈み切った感じでした。そこで「人心を鼓舞するようなワルツを一本、書いてくれない?」と、宮廷楽長でウィーン男声合唱協会の指揮者だったヨハン・ヘルベックから、作曲依頼を受けたシュトラウス2世。
でも、はじめは乗り気でなかったようです。「合唱曲?書いたことないからパス」とお断りしていたとか。
ところが、ヘルベックはシュトラウス2世の才能に惚れこんでおり、再三お願いに行っては断られを繰り返します。そんな彼の熱意に根負けしたか、シュトラウス2世もついに重い腰を上げて、不朽の名ワルツとして名を残すこととなる作品に取りかかりました。
ちなみに、シュトラウス2世が承諾を渋ったのは、当時契約していたロシアの鉄道会社との契約更新をめぐってゴタゴタがあり、作曲どころではなかったからというのが理由とされています。
提出が約束の期日に間に合わず……
そんなこんなで作曲をはじめたシュトラウス2世でしたが、約束の期日に仕上げることができませんでした。結局、無伴奏四部合唱用として提出したのが、依頼から約2年後の1867年。
その後すぐに「汚い走り書きで恐れ入ります。2~3分で書き終えないといけなかったもので」という釈明付きのピアノ伴奏譜も提出して、なんとか約束を果たします。
その時には『美しく青きドナウ』という現行の曲名さえなく、当時の新聞発表の文面も「宮廷舞踏会監督ヨハン・シュトラウスによる合唱と管弦楽のためのワルツ。ウィーン男声合唱協会に献呈」とだけあったそうです。
『美しく青きドナウ』の名は、かつて父が書いた『ドナウ川の歌 Op.127』と、ハンガリーの詩人カール・イシドール・ベックの詩『ドナウのほとりにて』に由来しているのではと考えられています。ただ、誰がこの曲名に決めたのかは、今も分かっていません。
不本意な初演
さて、当時使われた歌詞は、本業が警察官という風刺詩人ヨーゼフ・ヴァイルの手によるものでした、その出だしというのが、
元気を出せ、ウィーン子よ!
おう、なぜだ?
まわりを見てごらん!
なぜだってば?
一筋の光明!
なにひとつ見えん
カーニヴァルなんだぞ!
ほお、それで?
時代に負けるな!
なるほど、時代ね!
ユウウツに負けるな!
ごもっともなお説!
とまあ、こんな調子。「農民も地主も芸術家も政治家も、イヤなことはきれいさっぱり忘れよう!踊れ踊れ、そら踊れ!」とけしかける内容です。
これが1867年2月15日、ディアナザールという音楽堂で初演されました。ウィーン子たちの反応はまずまずだったものの、当のシュトラウス2世にとっては不本意だったよう。「ワルツは迫力不十分だったかもしれない」と後年、手紙に書いています。
管弦楽版『美しく青きドナウ』
大成功のパリ公演、そして「第二の国歌」へ
初演が不満だったシュトラウス2世は、この作品からヴァイルの歌詞と長いコーダを取り払った管弦楽のみのバージョンをあらためて用意し、これを3月10日にフォルクスガルテンで披露。
4月には万国博覧会が開かれていたパリで演奏し、絶賛を浴びました。気をよくしたシュトラウス2世は、その後のロンドン公演や米国ボストン公演でも大成功を収めます。
1874年ごろ、高まる一方の作品評価を印象づけるように、ウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックが、本曲についてこう述べました。「皇帝と王室を祝ったパパ・ハイドンの国歌とならび、わが国土と国民を歌ったもうひとつの国歌、シュトラウスの『美しく青きドナウ』が生まれた」。
しかし、この段階では現行の歌詞にはまだなっていません。
シュトラウス2世は本曲に何度か手を入れていますが、完成したのは1890年。ヴァイルと同じく男声合唱協会付属の詩人だったフランツ・フォン・ゲルナートが新しい歌詞を提供したことで、ようやく今日にも残る形となりました。ようやく、美しい抒情詩ワルツ作品へと生まれ変わったのです。
ゲルナートによる歌詞はこちら。
いと美しく青きドナウよ
谷を越え野をつらぬき おだやかに流れゆく
われらが都ウィーンは あなたにあいさつを送ろう
あなたの銀色の帯は 土地と土地を結び
その美しい岸辺に立ち わが胸は歓喜に高鳴る
合唱版『美しく青きドナウ』[演奏:ウィーン少年合唱団]
その後~現代
1899年6月3日、ヨハン・シュトラウス2世は73歳でこの世を去ります。ウィーンに生き、ウィーンに没した生粋のウィーン子でした。
当日の午後、たまたまフォルクスガルテンで野外演奏会が開かれていました。指揮者エドゥアルト・クレスマーは、ウィーンの生んだ天才音楽家の訃報を聴衆へ手短に伝えると、楽団に向き直って『美しく青きドナウ』を演奏したと伝えられています。
19世紀の音楽都市ウィーンを体現したようなこの傑作は、管弦楽版での演奏が一般的ですが、オリジナルの合唱版も心洗われる響きが印象的です。
『美しく青きドナウ』の楽曲構成について
以下、『美しく青きドナウ』の楽曲構成について紹介します。
序奏
冒頭、ヴァイオリンのトレモロとともに「ド・ミ・ソ・ソ~」という第1ワルツ主題Aの旋律が、ホルンソロによってゆるやかに提示され「朝もやに輝くドナウのさざなみ」という印象を聴衆に与えます。
続いてイ長調からニ長調へ、そして4分の3拍子の「テンポ・ディ・ヴァルス」へと移行。チェロとコントラバスのピッツィカートのみで静かに奏される3小節から、ワルツの開始が予告されます。
第1ワルツ
序奏で予告された第1ワルツ主題Aが、弦楽・ホルン・ファゴット・ハープで奏されると、いよいよ本編の開始です。ゆったりとたゆたうような美しいメロディーは、今日の世界中で親しまれていますね。
後半では転調し、休符を挟んだ付点リズム中心のステップを刻んでいきます。
ワルツでは通例、第1ワルツのみが三部形式をとりますが、本曲では第2と第3ワルツのみ三部形式、あとは二部形式となっています。第1ワルツの場合、前半部分Aのあとに切れ目なく後半部分Bが続きます(23小節目以降。以下、小節数は次のワルツへ移り変わるための数小節分の経過句も含む)。
第1ワルツ冒頭の数小節(作曲者の自筆・署名入り)
第2ワルツ
第2ワルツ主題Aは、チェロ・フルート・ファゴットによる、四分休符を挟んだ快活なリズムの音型で開始されます。
後半部分でニ長調から変ロ長調へいきなり転調し、ドルチェでゆったりと流れるように進行。合唱版で聴くと、この転調がひときわ印象に残ります。
第1ワルツ後半パートBから第2ワルツA
第3ワルツ
小節をまたぐタイでつながれた付点音型を、弦楽・木管・ホルンが軽やかにステップを踏むように奏して開始されます。
第3ワルツは一貫してト長調。後半になっても転調せず、速度だけヴィヴァーチェに上がって、ワルツのクライマックスを予感させる曲調になっています。
第3ワルツ冒頭部
第4ワルツ
第4ワルツはこの作品中、もっとも優雅さが感じられる部分。第3ワルツから4小節の経過フレーズを挟んでヘ長調へ転じ、クレッシェンドと休符を効果的に使ってウキウキと弾むようなリズムを刻みます。
さらに、ヴァイオリン・フルート・クラリネットのトレモロのあと、そのまま後半パートへ。ワルツ主題Bはフルートなどの木管で奏され、それにヴァイオリンとチェロが寄り添います。
第4ワルツ冒頭部
第5ワルツ
第4ワルツから経過パッセージを挟み、再びイ長調に戻ります。雄大さが頂点に達し、それはドナウ川が首都ウィーンの真ん中を悠々と流れるよう。
やがて、駆け上がるような8分音符の上行音型ではじまる主題Bが現れます。それまではホルンやフルート、ヴァイオリンなどがソロのように用いられていましたが、打楽器群にハープ、トランペットなどほぼすべての楽器群が加わり、ワルツは最高潮のまま後奏へ流れ込みます。
第5ワルツ冒頭部
後奏(コーダ)
後奏(コーダ)は、合唱用と管弦楽用が用意されています(コーダ1、コーダ2)。
管弦楽版の場合は「第3ワルツA」⇒「第2ワルツA」⇒「第4ワルツA」、最後に「第1ワルツA」の各旋律が現れます。ドナウ川の流れが、これまでの道のりを振り返っているかのようです。
終結部近くになると急にテンポが落ちて、なかば陶然とした雰囲気のなか、静かに「ド・ミ・ソ・ソ」の第1ワルツAの旋律が奏されます。その後、弦楽が急き立てるように急速な楽句を連続して奏でて、全曲を閉じます。
『美しく青きドナウ』の魅力
本曲最大の魅力は、なんといっても一度耳にしたら忘れられない、美しい「ド・ミ・ソ・ソ」旋律に尽きるでしょう。
ウィンナワルツを知らなくとも、その調べに身を委ねているだけで心安らぐ音楽に仕立てられています。もともとプロイセンとの戦争に負けたオーストリア帝国の市民を元気づける目的で書かれた作品なので、それも納得。さすがはワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の面目躍如といったところです。
シュトラウス2世は多作家で、ウィンナワルツとポルカだけでも生涯で300曲近く書いたといわれています。が、たとえ『美しく青きドナウ』しか残さなかったとしても、シュトラウス2世の名は、ウィーン市立公園に建つあの黄金の立像のように、クラシック音楽史に燦然と輝いたことでしょう。
『美しく青きドナウ』のおすすめ演奏動画
オーケストラVer.
ワルツ「美しく青きドナウ」
小編成アンサンブルVer.
The Blue Danube (Strauss) Wedding String Quartet
ピアノVer.
Mikhail Pletnev plays Strauss/Schulz-Evler – Blue Danube (Beijing, 2018)
まとめ
序奏の掴みが心憎いほど記憶に残る『美しく青きドナウ』。
リヒャルト・ヴァーグナーの「ライト・モティーフ(示導動機)」あたりが映画音楽の元祖と言われることが多いですが、今日のBGM、あるいは環境音楽(アンビエント)の元祖は、シュトラウス2世の本曲ではないかと筆者は思っています。
出しゃばらず、肩のこらない音楽。それでいて心なごむメロディー。シュトラウス2世は、間違いなくその手の音楽を書く不世出の天才なのです。