第1回のジョーン・タワーにつづいて、第2回は作家(ベルトルッチ監督によって映画化された「シェルタリングスカイ」の原作者)としても知られるポール・ボウルズのインタビューを紹介します。ボウルズはアメリカの現代作曲家の中では、やや特異な作風やスタイルをもち、どの流派、グループにも属していません。ある時期からモロッコのタンジールを本拠とし、アメリカに帰ることは生涯なかった人です。主流から離れていたため、アメリカを代表する作曲家の中に含まれなかったとしても、そのことがボウルズの作品の個性をより際だたせているとも言えます。
インタビュアーは、シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィー。クラシック音楽専門ラジオ局Classical 97で、1975年から2001年まで、1600人を超える音楽家のインタビューを行ない、1991年に米国作曲家作詞家出版者協会のディームズ・テイラー・ブロードキャスト賞を受賞しています。インタビューの日本語版は、ブルース・ダフィー本人の許可を得て翻訳したものです。
ポール・ボウルズ(Paul Bowles, 1910 – 1999)について:作曲家、作家、翻訳家。映画『シェルタリング・スカイ』(1990年公開)の原作者としてその名を知られる。17歳のときアーロン・コープランドと出会い、その後コープランドの元で作曲を学ぶ。1931年にモロッコのタンジールを訪れたのがきっかけで、1947年より居を構え永住する。ボウルズは異郷的な場所やものに強く惹かれる傾向があり、自身の音楽には世界各地のメロディーやリズムの影響が見られる。
*このインタビューは1992年5月、シカゴとタンジールの間で電話により行なわれたものです。
ブルース・ダフィーは、作曲家のフィリップ・ラミーにインタビューをした際、彼がポール・ボウルズの友人であることから、ボウルズの近況を尋ねました。ラミーはタンジールのボウルズを訪問する予定があり、ブルースのインタビューを仲介することになりました。
当時はまだ海外への電話回線が繋がりにくい状態で、片方が相手の返事をしばし待つこともあったようです。「しかし聞こえなかった部分は、再度言うことで解決し、うまく会話はできた」とブルースは言っています。ボウルズは言葉を慎重に選び、伝えたいと思ったことは強調して述べ、会話の間よく笑っていたそうです。インタビュー当時、ボウルズは81歳でした。
アメリカの外に身を置くこと
(発信音、ダイヤル式電話が鳴る音。しばし休止。続いて2回呼び出し音が鳴る)
フィリップ・ラミー(以下PR):どなた?
ブルース・ダフィー(以下BD):フィルだね!
PR:そうですよ、ブルース・ダフィーなのかな?
BD:シカゴのブルース・ダフィーですよ。はい。
PR:ここに彼はいますよ。
BD:ああ、それはそれは。ありがとう。
PR:この回線だと、一回に一人しかしゃべれないと思うよ。両方一度にはしゃべれない。片方の声は切れてしまう。よく覚えておいて。(そう言ってクスクス笑う) じゃあポールを呼んでくるから。ちょっと待ってて。
BD:わかりました、ありがとう。
PR:[ 受話器を置いて声をあげる] ポール! [少しの間] じゃ、彼に変わるね。
BD:ありがとう。
ポール・ボウルズ(以下PB):もしもし?
BD:ポール・ボウルズさんで?
PB:はい?
BD:シカゴのブルース・ダフィーです。
PB:はいはい、おはよう。
BD:おはようございます、お元気で?
PB:ええ、元気ですよ。いまコーヒーを飲んでたんですよ。
BD:それはそれは。いまお話ししても大丈夫ですか?
PB:そうですね、いいと思いますよ。
BD:よかった。わたしとの会話のために、時間をとっていただいて、とても感謝しているんです。
PB:こちらも楽しみですよ。
BD:タンジールのことから質問させてくださいね。そちらでかなりの年月、暮らしていますよね。仕事をするのにいいと思ったんでしょうか?
PB:ええ [小さな声で、当たり前でしょうとでもいうように] 、もしここにいなかったら(クスクス笑い)何一つできなかったでしょうね。1931年からずっといるんですから。何年かな、61年?
BD:タンジールで仕事する意味は何です?
PB:[笑い。そんな質問がくるとはと驚いた風に] なんでしょうね。何年かの間に多くのことが変わりましたよ。ここ最近は、ものすごくたくさんの人が、毎日のようにわたしに会いにここに来るんでね、仕事をするにはあまりよくないね。わたしはいつも一人でいたんでね。静かなんですよ。ニューヨークよりずっとね。
BD:一人でいるほうが好きなんですね。
PB:ああ、そうです、もちろん。そのとおり。
BD:あなたは音楽と文章と両方仕事にしている。やっていて両者の違いは感じますか?
PB:ええ、もちろん![クスクス笑い] この二つは違いますよ、心の違う部分を使いますから。でも片方をやっていて疲れたら、もう一方をやるんです。あっちをやり、こっちをやりとね。
BD:ということは、音楽と文章と両方をいちどきにやることがあるんですね。
PB:[強調気味に] そのとおり。ほぼいつもそうで、アメリカにはもうしばらく帰ってないですけど、、、前回行ったのは1968年でしたから。ここで劇場の音楽をやってました。[タンジールの]アメリカンスクールのための劇音楽で、骨の折れる仕事でね、まあブロードウェイほどではないかもしれないけど。
BD:[クスクス笑い] ブロードウェイからこんなに離れたところで、あそこのために作曲はできないとは思いませんでした?
PB:いやいや。距離は関係ないですよ。ここでスコアを書いて、ニューヨークの劇場に行ってリハーサルをすることはありましたよ。だけどわたしは、ここのアメリカンスクールのために劇音楽をずっと書いてきたんです。彼らはなかなかの演劇科をもっていて、難しい作品を取り上げています。ギリシアものとかね、、、古代ギリシアの作品ですよ。今年はエウリピデスをやっていて、すべてアラビア語でやってる。どう聞こえるかわかりませんけど、楽しいんじゃないかな。イヴ・サンローランが衣装を担当してて、視覚的にもいいものができそうで。
BD:タンジールにいて、新しい作曲家たちのことを知ったり、聴いたりできるんでしょうか?
PB:いいえ。[クスクス笑い] 現代音楽の潮流からはかなり切り離されてますよ。孤立してますけど、かまわないんです。かまうべきかもしれないけど、わたしは多くのことから切り離されていますよ。今現在は映画もないですし、香港でつくられたものを除けばね。ここでは誰も望んでないから。何であれ文化的な生活はない。それが助けになってます。
BD:切り離されていることが、助けになるんですか?
PB:そう。
BD:どんな具合に?
PB:人は自分の文化を出すもんでしょ。[クスクス笑い] でもここにはそういうものはないですから。
BD:[笑] じゃあ、すべての発想はあなたの内から湧いてくる?
PB:そのとおり、確かに。いいですか、人はアイディアは自分の中からやってくると思ってますけど、わたしはそれに疑いをもってます。人がすることはすべて、その人の記憶からくるものだから。潜在意識です。つまり、発明というのはそれほどないんじゃないかと。
BD:つまり継承と適応、脚色であって、発明ではないと。
PB:そうだといつも思ってます。言い換えれば、地上に新しいものなどないということ。それは過去の経験からくるものなんですよ。それ以外に、いったいどこからやって来るんでしょう。
理想的な演奏というものはあるのか
BD:これは自分の音楽だと思えてる作品はありますか?
PB:あー、もちろん、たくさん。あるある。だけど作曲をはじめたときから自分のものを書いていたら、もっとたくさん書けたね。でも当時稼ぐ必要があったし、それはとてもうまくいってました。すべてを投げ打って、突然ここにやって来るまではね。ここに1930年代の初めに来たんでね。[ボウルズが最初にタンジールを訪れたのは、1931年8月のことで、アーロン・コープランドと一緒だった] そして1947年に住むために戻ってきたんですよ。
BD:あなたの音楽に対する関心が、ここのところ復活してるようですが、嬉しいですか?
PB:あー、もちろん! 当然です。そりゃね、そうそう。[クスクス笑い] 猛烈な関心ではないけど、人々は興味をもってくれてるし、ときに演奏もしてくれる。もちろん喜んでますよ。
BD:基本的に、誰かが演奏したものや録音したあなたの曲を聴いて、満足してます?
PB:[少しの間考えて] 「基本的に」という副詞はなんの意味?
BD:ええと、基本的に嬉しいものかどうかという。
PB:そうね、そうであるもの、そうでないもの。いくつかは満足だし、いくつかはそうでない。それぞれですよ。すべての人が理想的な演奏者とはいかないから。
BD:じゃあ名前はなしで、理想的な演奏家というのはいます?
PB:どうでしょう。いないんでは。いい演奏家がいても、ある人はどこかに批評の対象を見つけるでしょうね。いいや、おそらく、、、しかしその前に、「理想的」という言葉がよくないかもしれない。理想的なものなどないでしょ。「理想的」というのは達成不可能なものだから。たとえば、、、何みたいなかな、、、「民主主義」みたいな言葉じゃないでしょうか。一つの考え方ではあるけど、あり得ない [笑いながら] 、、、存在。
BD:では、理想的な演奏というのは、われわれがそれを求めようとすることなのか?
PB:そのために時間を使いすぎることに価値があるとは思えないね。いやいやいや、そういうことじゃないね。大切なことは演奏しようとしている曲を理解して、作者がこうして欲しいと望んだものになるべく近い演奏をすることでしょう。それは卓越した演奏よりも、素晴らしいんじゃないですか?
BD:これは演奏家にあなたが与える助言なのでしょうか、作品を理解してもらうという。
PB:そうですね、まずは演奏家は、自分の力で作品を理解しなくてはならない。だけど理解してない、たいていは。彼らの改変には [クスクス笑い] 目を見張らされるね、ときどき。テンポの指示は彼らにとって意味がないし、強弱も無視されている。それは彼らにはこうするべきという考えがあるからなんだけどね。たくさんの指揮者が、ストランビンスキーは自分の曲を指揮する仕方を知らないと言ってますよ。でもわたしはそれを1ミリも信じないね。彼自身の指揮は、他の人のものよりずっといいですよ。だからわたしには理解できないね。求められることは、理解ですよ。知性で理解するだけじゃなくて、全般的な理解であり、また心情的な理解でもある。
音楽の目的、人生の目的
BD:では重要な質問をひとつ。音楽の目的とは何でしょう?
PB:[クスクス笑い] それが重要な質問なんですね。人に楽しみを与える、知性を巻き込みつつ楽しみを与える、ということかな。人の感情にのみ影響を与えるものと思われてるけれど、それは嘘だと思うね。人は音楽を心で聴くものだけど、そのとき初めて、音楽は真に楽しめるものになるんだ。でも多くの現代音楽作曲家が、音楽は人々に楽しみを与えるものでは全くない、と思ってるのをわたしは知ってる。じゃあ、何だと彼らが思ってるか、わたしにはわからないね。
BD:でも、あなたにとっては楽しみを与えるものなんですね。
PB:それがわたしの気持ち、そのとおり! あらゆる芸術の目的は、楽しみを与えるため、生活をより楽しくするためのように思えますよ。そこには文学や絵画、あらゆる視覚芸術が含まれ、音楽もその一つ。これらのことはみんな、楽しみを与えるものでしょう。哲学だって、楽しみを与えるものじゃないですか。
BD:どんな風に?
PB:もし人生の不思議さを説明できたら、それを知りたい人に楽しみを与えられるでしょう? じゃあ、人生の目的とは何なんでしょうね。 [しばしの間。修辞学的な疑問への答えを待つかのように] そんなものないでしょう、違います?
BD:答えが見つかったんですね?
PB:ええ、イエスです! これが答えです。目的はない。
作曲家にとっての幸せとは
BD:じゃあ最後の質問です。作曲は楽しいですか?
PB:[迷うことなく] イエス、イエス。わたしにとっては楽しみです。あとでできたものを聴くのと、同じくらい楽しみですよ。できた曲は聴く必要がありますからね。そのとおり、楽しいですよ! もちろん大変な作業ですけどね。おそらく文章を書くより、大変な作業だと思います。なんといっても、文章を書く場合は、何千何万もの小さな音符を書かなくてもいいでしょ。やるべきことは、[クスクス笑い] 言葉をいくつか書けばいいんだから。頭は目一杯使うだろうけど、(音楽は)肉体的な作業量がかなりあるからね。[残念そうに] わたしがあきらめてここに来た理由の一つはそれでね。大変な時間がかかるんです。すり減らされます。
BD:でも最後には喜びがもたらされるんでしょう。
PB:そのとおり! そうでなければ、やらないでしょう。たしかに、それを耳で聞くときは特に、演奏がよければなおのこと、大きな満足感があります。それで初めて完成します。曲を書き、それが演奏され、それを聴いて満足する。それが作曲家が期待することのすべてですよ。
BD:すべて終わると解放されますか?
PB:[いぶかしげに] 解放? いいや。それはその前に緊張があるってことですね、いいえ、ないですよ。解放はないです。それにわたしは解放感などほしくないし。[クスクス笑い]
BD:何がほしいんです?
PB:音楽から生まれるもので?
BD:ええ。
PB:そうですね、音楽で言おうとしたことが汲み取られ、演奏されるのを感じること、わたしが書いてるときに意図したことが、そこで表現されることかな。
BD:なるほど。わたしとこうして話すために、お時間をとっていただいたこと、とてもとても感謝しています。
PB:とんでもない。電話ありがとう。
タイトル画像:From the cover of “Yesterday’s Perfume: An Intimate Memoir of Paul Bowles” / Tangier, Morocco by Amine GHRABI/CC/Attribution, non-commercial
ドキュメンタリー・フィルム
“Night Waltz-The Music of Paul Bowles” directed by Owsley Brown III
撮影はおそらくボウルズ最晩年のもの。フィルムの最後に挿入されているモロッコ人(と思われる)青年とのシーンが印象的。(5’26″)
“Music for a Farce”(クラリネット、トランペット、ピアノ、パーカッション)
2015年6月11日、コロラド大学音楽祭での演奏
「茶番劇のための音楽」というだけあって、短い8つのパートからなるプレイフルな楽曲。(13’41”)
記事提供元:Web Press 葉っぱの坑夫