水に濡らしたグラスに指先を軽く触れるとなんとも形容しがたい響きが生まれる、という経験をしたことがある人はけっこういるのではないかと思います。このことに気づいていたのは昔の人もおなじでして、16世紀末にはこの「湿らせたグラス」をなんとか楽器として活用できないかと考えていた人がいました。今回は、このいわく言い難い摩訶不思議なサウンドを発する「グラスハープ」とその仲間の深くて怖い(?)世界をご紹介。

 

ガリレオも気になっていた? グラスハープの響きの秘密

グラスハープ(グラスハーモニカとも呼ばれます)は、水を入れたワイングラスやゴブレットの縁を、水に濡らした指で軽く輪を描くように触れたときに音が出る現象をそのまま利用したもの。グラスを並べただけのシンプルな楽器で、音程はグラスに入れた水の量で調節しています。

グラスハープのアイディアじたいはそうとう古く、その起源は12世紀の中国とも、14世紀のペルシャとも。グラスハープの最古の記録とされるのがルネサンス期に書かれたもので、かのガリレオ・ガリレイも1638年の著作『新科学対話』で、このグラスハープの音の出る仕組みについての考察を残しています。

ただしこの楽器、指から滴り落ちる水や、水の蒸発などによって音程が狂いやすく、また事前に水を入れて調律する必要があり演奏準備がたいへん、というのが難点。現在のグラスハープは脚付き専用ケースにグラスを収納したポータブルなものから、横長テーブルにグラスを並べたものまでいろいろなタイプが混在していますが、この原型となる楽器で最初の演奏会を開いたのがアイルランド人音楽家リチャード・ポックリッジで、1743年、ロンドンでのことだったと言われています。

グラスハープはその妙なる音色も手伝って、かのヘンデルや、オペラ作品を数多く書いたグルックからも注目されます。とりわけグルックは、26個のグラスを並べた楽器を使用した演奏会を独自に開くほどグラスハープがお気に入りだったようです。彼は自分が用いたグラスハープを、フランス語でグラスを意味する単語から作った「ヴェリヨン」と名付けていました。

バッハ『トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565』[グラスハープ独奏版]

 

モーツァルトも絶賛?! フランクリンの発明した「アルモニカ」

1757年、米国の政治家で発明家としても有名なベンジャミン・フランクリンは英国のケンブリッジに滞在中、グラスハープの生演奏に接して深い感銘を受けました。それだけで終わらず、この楽器はもっと改良の余地があると考えたのがこの人のすごいところ。1761年、フランクリンはグラスハープの改良楽器を発明、音楽用語にイタリア語がよく使用されていることへの敬意もこめて、新楽器を「共鳴」を意味するイタリア語から「アルモニカ」と命名しました。

フランクリンの発明したアルモニカは37個のお椀型のグラスが音階順に横向きに並べられており、その中心を回転軸が貫く構造。この心棒をペダルで操作してガラスのお椀の列を回転させ、水に濡らした指先でお椀に触れて音を出す、という仕組みになっています。また、ラの音を出すお椀の縁は紺、シは紫、ドは赤、レはオレンジ、ミは黄色と識別するために色分けするという工夫も凝らされていました。ちなみにこの楽器、米国における発明品第1号とも言われています。

アルモニカはいま流行りの言い方を借用すればおおいにバズって、18世紀中に数千台ものアルモニカが製造されたとか。ハッセ、モーツァルトやベートーヴェン、トマーシェクなど錚々たる面々がこの新奇かつ神秘的な響きを奏でる楽器のためにいくつか作品を残してもいます。

とくにモーツァルトは1791年、この楽器の盲目の女性演奏家マリアンネ・キルヒゲスナーに、『アダージョとロンド ハ長調 KV 617』というオーボエとアルモニカのための五重奏曲を作曲して贈っていることが知られています。また、モーツァルトはこの作品の独奏版[KV 356、またはKV 617a]も残しています。

モーツァルト『グラスハープのためのアダージョ KV 356』

 

現代アート版グラスハープ、「クリスタルオルガン」

1952年、フランスの音響彫刻家ベルナール・バシェ、フランソワ・バシェの兄弟がグラスハープの現代版とも言うべき楽器を新たに考案します。それが「クリスタルオルガン[クリスタル・バシェとも呼ばれます]」。こちらは54本の金属管が鍵盤状に並んだガラス棒に連結され、ガラス棒を指で触れると金属管がオルガンのパイプのように共鳴して音が出る、という音響彫刻の一種。グラスハープやアルモニカより音量が大きく音域も広い、といった特徴があります。

クリスタルオルガンもさまざまな作曲家が作品を書いたり、『皇帝ペンギン(2005)』、『ソラリス(2002)』といった映画音楽にも効果的に使用されたりしていますが、じつは武満徹もこの楽器を使った楽曲を書いたりしています。

武満は1970年の大阪万博のとき、万博会場の鉄鋼館内にあった「スペースシアター」の音楽監督を務めており、その折にバシェ兄弟の制作したクリスタルオルガンを含む4基の音響彫刻を使用した楽曲『四季』を作曲、世界初演を行いました。また、高橋悠治氏もこのときに『エゲン』という作品を提供しています。

コープランド『市民のためのファンファーレ』、ベートーヴェン『エリーゼのために WoO 59』、バッハ『無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007』から「前奏曲」

 

ところでフランクリンの発明したグラスハープの一種アルモニカですが、聴けばわかるように好き嫌いがハッキリと分かれるサウンド。演奏者は演奏開始前に入念に手を洗う必要があり(最低でも15分、皮脂がついているとうまく音が出ないため)、また演奏者だけでなく楽器の音を聴いただけで神経障害を発症する、寿命が短くなる、これはもう悪魔の楽器だ、との噂が広まったりしてついにドイツでは演奏禁止、1820年代には音楽界から事実上の追放処分の憂き目を見てしまいます。

現在、日本国内ではこの楽器を専門とする演奏家が所有する1台も含めてアルモニカは3台存在しているそうです。この楽器の音から天上の響きを感じ取るか、それとも神経が参ってしまうのか……は、あなたしだい。