「クラシックは白人音楽偏重?」
クラシックの本場ヨーロッパで起こっているこの議論の背後には何があるのでしょうか? 本記事では「クラシック音楽の聴き方と多様性」について考えてみます。

クラシックの本家が「自己批判」?

いま、クラシック音楽の本家でちょっとした議論が巻き起こっています。

たとえばモーツァルト。クラシックに興味がある・なしに関係なく、子どもでも知っている西洋音楽ド定番作曲家のひとりですが、いま、彼の音楽をめぐってこんな批判が飛び出しているのです。

いわく、
モーツァルトやベートーヴェン時代のヨーロッパ音楽は、植民地時代を想起させるからダメ(!)

しかもこうした批判の声の主は外野の評論家ではなく、音大など、教育現場で音楽を教えている教員だというのです。

もちろんこれには理由があります。もっとも大きな要因は、昨年以降、世界的に盛り上がりを見せているB.L.M.(Black Lives Matter、「黒人の命も大切だ」)ムーヴメントです。声を上げるのはすばらしいことながら、この降って湧いたモーツァルト批判、どこか釈然としないのも事実。

モーツァルトやベートーヴェンに限らず、芸術遺産の受容の歴史というのは、いつの時代も社会情勢や政治的判断に翻弄されてきました。
そのもっとも典型的な例が、旧ソ連の作曲家ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906―1975)でしょう。彼が『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』(1937)を作曲したのは、当時のスターリン政権に厳しく糾弾されていた、自身の名誉回復のためだったと言われています。

ショスタコーヴィチ『交響曲 第5番 ニ短調 作品47』第4楽章
指揮:マイケル・ティルソン・トーマス/演奏:ロンドン交響楽団

「キャンセルカルチャー」の暴走?

さて、「モーツァルトの音楽は植民地時代を連想させるからダメ」論について。
これはずばり、「キャンセルカルチャー」そのものでしょう。
キャンセルカルチャーとは何か。元アメリカ大統領のバラク・オバマ氏は、こう表現しています。

──誰かが過ちを犯したり、誤った言い回しを使ったことに対して、あなたがそのことをツイートしたりハッシュタグで批判したりすれば気分は晴れるでしょう。『私は政治的に目覚めていて、間違ったことをしたあの人を追い出したんだ』と。でもそれはアクティビズム(積極的行動主義)でもないし、変化をもたらすこととも違う──

さしものモーツァルトも、21世紀生まれの「キャンセルカルチャー」を振りかざされてはたまったもんじゃないだろう、と言うのがごくフツーの人の感想なのではないでしょうか。
そもそもこの論争、音楽作品の質とはなんの関係もありません。もしモーツァルトが映画『アマデウス』で描かれたとおりのゲス野郎で、『俺の尻をなめろ』(!)なる6声のカノン、さらには『俺の尻をなめろ、きれいにな』(!!)なる3声のカノン歌曲を残していても、たった24小節の珠玉の名曲『アヴェ・ヴェルム・コルプス』がそれを聴く者に与える、あの名状しがたい至福の感覚に異論を挟む人などいまい、と思うのです。

W・A・モーツァルト『俺の尻をなめろ K. 231 / K. 382c』
指揮:ウーヴェ・クリスティアン・ハラー/合唱:コルス・ヴィエネンシス

あの名曲も、ヘタすれば『春の祭典』になっていた!?

ここでバッハを例に、「音楽芸術の受容」ということについて少し考えてみたいと思います。
バッハの一般的なイメージは

  • 音楽の父
  • ドイツ音楽の祖
  • 敬虔な教会音楽家

などでしょう。
実は、これらはすべてバッハの死後にできあがったイメージだ、と知ったら驚かれるでしょうか。

バッハが亡くなったのは、ちょうど「音楽の聴き方」そのものが一大転換点を迎えていた時代。
複雑でポリフォニックなバッハの音楽様式は「時代遅れ」の典型とみなされ、バッハ自身も急速に忘れ去られてゆきます(生前はバッハをしのぐ名声を得たテレマンでさえ、例外ではありませんでした)。

バッハの音楽遺産は「楽譜」というかたちで、息子たちやそのパトロンなどの「バッハサークル」とでも呼べる、ごく一部の愛好者たちが細々と伝承させていったにすぎなかったのです。
そんなバッハが劇的によみがえるのは、1829年3月11日、メンデルスゾーンがベルリンで『マタイ受難曲 BWV244』を復活上演したときです。バッハ好きにすれば、メンデルスゾーンこそ大恩人、なのですが、そんな彼もまた19世紀という時代の「当たり前」を無視するわけにはいきませんでした。

『マタイ』の復活上演にあたり、彼はバッハ時代ではありえない音響効果を狙って勝手に「改作」。「ここは音が足りない!」と判断するとクラリネットパートを追加したり、不要と思った箇所は大胆にカット。通奏低音楽器もオルガンやチェンバロではなくピアノで代用するなど、とにかくコテコテにロマン派テイストてんこ盛り。「これがバッハの『マタイ』なんか~い!」とツッコミたくなるほど、徹底的に手を入れました。

ちなみにメンデルスゾーンによる『マタイ』復活上演後の評判はどうかと言えば、たとえば1832年、ケーニヒスベルクの教会で開かれたコンサートの評判の記録が残っています。予想に反して(?)これが不評で、19世紀の聴衆受けはあまりよろしくなかったようです。おまけに「聴いて損した、わたしにカネと時間を返せ!」、「時代遅れのガラクタ!」とけなす人、そしてまだ「第1部」が終わってもいないのにタイクツだとばかりそそくさと教会から退散した、なんて客までいたそうです。(当時の音楽関係紙「一般音楽新聞」の記事から)
というわけで、19世紀の聴衆にとっての『マタイ』は一歩間違えれば、クラシック音楽史に残る一大スキャンダルに発展した、ストラヴィンスキーの『春の祭典』騒動の先駆けになったかもしれない、と言えそうです。

「バッハはドイツ音楽の祖」というイメージもまたしかり。そのイメージを最初に作り上げたとおぼしき人物は、音楽史家ヨハン・ニコラウス・フォルケル(1749ー1818)でしょう。

出典:Wikipedia「ヨハン・ニコラウス・フォルケル」

フォルケルは、バッハの息子カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714―1788)などから聞いた証言をもとに『バッハの生涯と芸術(1802、邦訳は岩波文庫)』というバッハの評伝を出版しています。この本はいまも貴重なバッハの資料として一目置かれてはいるものの、通読すればわかるように、「オラがドイツの偉大なる音楽家バッハ」という書き方がちょくちょく顔を出しています。以下に引用する結びの一文もまた激アツで、いまふうに言えば「バッハ激推し」の人でした。

…かつて存在し、そしておそらく今後も存在するであろう最大の音楽詩人であり最大の音楽朗唱者たる彼は、ドイツ人であった。祖国よ、彼を誇るがよい。彼を誇り、しかしまた、彼に値する者とならなければならない!

引用:バッハの生涯と芸術ーフォルケル(岩波文庫)

フォルケルをはじめ、「バッハこそドイツ音楽の体現者」と言わしめたのは、19世紀、強国への道をひた走っていたドイツ国民の気負いなのかもしれません。

クラシックにも「多様性」を

再び、「モーツァルトの音楽は植民地時代を連想させるからダメ」論について。この議論がどう転ぶかはまさに神のみぞ知る、としか言えないのですが、クラシック音楽の聴き方、楽しみ方についてはひとつだけ確実に言えることがあります。

それは、「クラシック音楽はどんなふうに聴いても、それはみなさんの自由」だということ。どう聴いたってよいのです。信ずべき尺度は、ご自身の耳だけです。ほかの誰がなんと言おうと関係なし。
筆者は最近、アンドロイド歌手「オルタ3」の存在を知り、衝撃を受けました。音楽芸術には、最先端のテクノロジーを取り入れつつ進化していった側面があります。むしろクラシック音楽に必要なのは「コレコレを排除すべき」ではなく、新しいものを貪欲に取り込む姿勢なのではないでしょうか。

渋谷慶一郎『Scary Beauty』(2019)
演奏:渋谷慶一郎(ピアノ)、人工生命×アンドロイド「オルタ3」、国立音楽大学学生/卒業生有志オーケストラ